日本歴史地名大系 「西猪谷関所跡」の解説
西猪谷関所跡
にしいのたにせきしよあと
神通川沿いに通る飛騨街道に置かれた近世の関所。対岸の加賀藩領東猪谷関所(現大沢野町)に対して西猪谷関所と称されるが、県指定史跡名は猪谷関跡とする。関所のある猪谷は越中と飛騨の国境に近く、軍事上も経済流通上も要衝の地であり、すでに長享三年(一四八九)には関の存在が確認され、永禄八年(一五六五)には関銭徴収も知られている。越中に入った前田氏も当地を重視、足軽番人・武具を備えていたことなど軍事的性格が強いことから、天正一五年(一五八七)直後には設置したとする説がある。東西両関所は同時期に置かれ、寛永一六年(一六三九)の分藩に伴い、富山藩に引継がれたものと考えられ、関所番人の橋本家・吉村家由緒書(文久二年「番所書上帳」橋本家文書)には、寛永一八年にその先祖が金沢表から富山表に引越し、西猪谷関所番人になったと記している。猪谷集落南端、往来本通りに関所門を構え、通りの両側に高さ三尺の石垣を積んだ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報