日本大百科全書(ニッポニカ) 「西行伝説」の意味・わかりやすい解説
西行伝説
さいぎょうでんせつ
平安末期の歌人、西行法師にまつわる伝説。陸奥(みちのく)から四国、筑紫(つくし)と、生涯を行脚(あんぎゃ)して暮らしただけに、その名にちなむ伝説は全国に散在する。とくに「西行戻りの松」に類した戻り坂、戻り橋といったものが多く、これら一連の類型には名もない童児または女性との問答に負けたとするのが特徴である。たとえば栃木県上都賀(かみつが)郡にある西行戻り石は、日光見物にきて休んでいた彼に草刈り小僧が歌を返したので、驚いて日光を見ずに引き返したという。長野県小県(ちいさがた)郡の戻り橋は、通行中の子に西行が麦のことを尋ねると「冬茎たちの夏枯草」と答えられ、引き返したと伝える。埼玉県比企(ひき)郡の見返り桜は、慈光寺参詣(さんけい)の西行と観音化身の小僧の問答で西行は意味がわからずに、引き返す際に地に桜の枝を挿したものという。歌問答の添加は彼の歌人の伝承が傾斜したものであり、峠、橋、坂といった地勢は古くは邑落(ゆうらく)の境界にあたるところであるから、細語(ささやき)橋、思案橋の名に残るように、他人の言語を小耳に挟んで夕占(ゆうけ)などを行った言い伝えの伝説化であろう。童児は一つ物(尸童(よりまし))としての化身の姿である。西行伝説ではほかに、他の高僧伝説と同じく、休憩の際に笠(かさ)や袈裟(けさ)をかけたという笠掛松(静岡県志太郡)、袈裟掛松(茨城県北相馬(きたそうま)郡)の伝説も多い。女と和歌を取り交わして負けるという笑話的伝説(広島県山県(やまがた)郡)や、彼の野糞(のぐそ)がはねたという「西行のはね糞」などの笑話もある。いずれも和歌を伴っているのが西行伝説の特徴である。
[渡邊昭五]