西野地村
にしのじむら
[現在地名]南国市西山・陣山・三畠・上末松・下末松・野中・東崎
香長平野の中央部、廿枝村の東に近世に入って開発された農村。北部は長岡台地が連なり、南部を舟入川が南西流する。「土佐州郡志」は「東限香我美郡之山田岩村、西限吉田村小籠廿枝村、南限野田村大
村篠原村、北限植田村須江村廿枝村、東西二十五町余南北十六町余、其土黒、相伝此地昔草野也、寛永中引物部川漑此、犁而成田畝、然後為此村、同年於山田村亦闢田曰野地、此村在西故曰西野地」と記す。
万治三年(一六六〇)野中兼山によって開かれた中井川・舟入川による用水路は五里余に及び、約一千五五〇町の耕地を灌漑したが、当地では約五一〇町の水田と一三町の陸田が開かれたという。
西野地村
にしのじむら
切目川河口の右岸にある。南は切目川を挟んで島田村、北西は印南浦。「紀伊名所図会」に「切目宿 今の西野地村なるべし」とあり、古くは切目、あるいは切部の名でよばれていた。延久四年(一〇七二)九月五日付太政官牒(石清水文書)に「切目薗」がみえる。また「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月二〇日条に「切部水辺祓」「切部庄」とみえる。また同時期の成立と推定される「熊野本宮古記」の年月不詳一三日の記事に「切目宿」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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