改訂新版 世界大百科事典 「西陣焼」の意味・わかりやすい解説
西陣焼 (にしじんやけ)
1730年(享保15)6月20日,京都洛中で発生した大火。いわゆる〈西陣組〉のうち108町を全焼したのでこの名がある。同日昼八つ時(午後2時ごろ),上京上立売通室町西入大文字屋五兵衛居宅から出火,おりからの北東風のち北風にあおられ,西・南方へ延焼,上西陣組,下西陣組,小川組,北野などにまたがる地域を焼亡し,翌朝八つ時に鎮火した。《月堂見聞集》によれば〈町数百卅四町程,但し平均東西長さ十六町,南北長さ五町,家数三千七百九十八軒程,外に非人小屋十三軒,寺社数七十一ヶ所程,内社二ヶ所,北野松梅院一ヶ所,同祠官一ヶ所,同宮仕廿四ヶ所,堂上方抱屋敷五ヶ所,武家方屋敷一ヶ所〉が罹災した。焼死者80人,負傷者千数百人ともいわれる。直後には下京の町衆がこぞって施行(せぎよう)を行い,一人前に50~100文,椀1膳,米3~5合,菅笠,うちわ,茶碗,つくね飯,餅などを持ち寄り,毎日のように運び入れて救援したという。西陣は高機(たかばた)7000余のうち3000以上が焼失するなど,町民は大打撃を受け,これを一因として,以後西陣機業の衰退が始まるといわれる。また類焼地域の復興にあたって道路を2間余に拡張したほか,家屋には桟瓦葺きが奨励されたという。
執筆者:富井 康夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報