日本歴史地名大系 「角井村」の解説 角井村つのいむら 島根県:飯石郡頓原町角井村[現在地名]頓原町角井志津見(しつみ)村の西に位置し、南から南西は石見国安濃(あの)郡上山(うやま)村・志学(しがく)村(現大田市)、西の石見との国境に三瓶山がそびえる。村内中央部を須佐(すさ)川(現神戸川)の支流角井川が北流する高原状の村。川の流域に町(まち)・中廻(なかもうり)・父木(ちちぎ)(秩木)・万場(まんば)・伊比(いび)などの集落がある。「郷方古今覚書」に「角井村より、石州志学村迄、廿八町七間、此処ニ雲石境杭有」と記される。慶長一八年(一六一三)の志々之内角井村御検地帳によると田方三〇町三反余(分米四一八石余)・畑方二四町七反余(分米一二八石余)、屋敷数五八・町屋敷数一二、当時の当村および周辺は志々(しし)と称されていた。 角井村つのいむら 島根県:益田市角井村[現在地名]益田市須子町(すこちよう)高津川下流、支流の本俣賀(ほんまたが)川の合流点に位置し、北東は須子村、西は虫追(むそう)村、北は飯田(いいだ)村。地名のいわれは川角(かわつの)・角の江(つののえ)に由来するという(益田町史)。江戸時代の支配の変遷は高津村と同じ。元和三年(一六一七)の竹村丹後守引渡証文(亀井家記稿本)に村名がみえ、高一七三石余。寛永一四年(一六三七)の検地高二二七石余(万手鑑)。正保国絵図では高一七三石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by