日本歴史地名大系 「調子庄」の解説
調子庄
ちようしのしよう
現長岡京市の南部、西国街道沿いにあった荘園。平安時代以来、摂関家の随身等を勤めてきた調子(下毛野)氏が知行してきたのでこの名がある。
下毛野氏は「今昔物語集」巻二〇に「朱雀院ノ御代ヨリ公ニ仕リテ、村上ノ御代ナドハ盛ニ
近衛家の分立とともに下毛野氏は近衛家と関係を深め、調子の所領は下毛野武守から近衛基通に寄進されて調子庄となった。建長五年(一二五三)の近衛家所領目録(近衛家文書)の「庄務本所進退所々」に「調子庄
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報