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平安時代,左右近衛府(このえふ)の官人・舎人(とねり)から選ばれて高官の護衛にあたった者。9世紀中葉,摂政藤原良房に賜ったのを始めとし,上皇・摂政関白,近衛府の大将(大臣兼帯の者,納言・参議兼帯の者)・中将・少将に賜った。上皇の場合,《拾芥抄》によると将曹(しようそう)2,府生(ふしよう)2,番長(ばんちよう)2,近衛8計14人を賜る規定で,このうち番長以上は騎馬であった。摂政関白には,近衛のほか内舎人(うどねり),左右兵衛があわせてつけられることもあり,これも随身と称した。随身はその職務がら本主との接触が密接で,その関係が私的・主従的なものに転化することが多かった。ことに馬芸などにすぐれた者が摂関や上皇の庇護をうけて家人化し,近衛府の舎人でありながら府の監督に服さず,本主の権威を背景に横暴を働くことが少なくなかった。10世紀以降,尾張,播磨,下毛野,多(おお),秦(はた),中臣などの特定の氏族がその職にあたる傾向が強まった。
執筆者:笹山 晴生
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平安以降、太上(だいじょう)天皇や摂関以下の公卿(くぎょう)、武官などにつけられた護衛兵。御随身(みずいじん)ともいう。近衛府(このえふ)の将曹(しょうそう)以下をこれにあてた。その員数は身分や官職によって異なる。太上天皇には将曹2人、府生(ふしょう)2人、番長2人、近衛8人の計14人があり、院の御随身所に詰めていた。摂関は府生2人、番長2人、近衛6人の計10人、大臣の大将は府生1人、番長1人、近衛6人の計8人、納言(なごん)、参議の大将は番長1人、近衛5人の計6人、中将は4人、少将は2人、諸衛府の督(かみ)は4人、佐(すけ)は2人の近衛が、それぞれつけられ、家(け)の随身所に候(こう)しており、本主(ほんしゅ)の出行の際には武装して、近衛は徒歩、その他は騎馬で護衛し、また雑使にあてられた。ただし、本主が死亡したり、官職を退いた場合には返上された。
[渡辺直彦]
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…10世紀以後の公家の下級武官の氏族。近衛府の舎人,院・摂関家の随身として活躍した。随身とは弓矢を帯して貴人に供奉(ぐぶ)し,警固の任にあたった公家の侍である。…
…雛人形はこの雛段に飾る人形の総称である。江戸末期以後,江戸では京都形式の官女,随身をとりいれ,これに江戸式の五人囃子(ばやし)を加えたものを決りの雛人形とした。現在もこの形式にならい,内裏雛(2人),官女(3人),五人囃子(5人),随身(2人),衛士(3人)の5種類を,〈きまりもの〉十五人揃いとしている。…
※「随身」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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