護国八幡宮(読み)ごこくはちまんぐう

日本歴史地名大系 「護国八幡宮」の解説

護国八幡宮
ごこくはちまんぐう

[現在地名]小矢部市埴生

礪波となみ山の東麓、倶利伽羅くりから峠越で加賀と越中を結んだ旧北陸街道に臨む地に鎮座祭神は誉田別命(応神天皇)・息長足媛命・田心比売命・湍津比売命・市杵島媛命。埴生はにゆう八幡宮・埴生護国八幡宮、また新八幡とも称したという。旧県社。創建年代は不詳だが、保元三年(一一五八)以前に山城石清水いわしみず八幡宮に寄進されていた埴生保内に、同宮の分霊が勧請されたものであろう。寿永二年(一一八三)五月、木曾義仲は埴生八幡宮に戦勝を祈願している(「木曾義仲願文写」社蔵文書・「源平盛衰記」巻二九)。以降武将の信仰を集め、室町時代には礪波郡守護代遊佐氏の一族、遊佐則近は参道石段を寄進している(現存)。延徳三年(一四九一)越後に赴く途中の冷泉為広は、三月一二日に倶利伽羅峠を越え、道の左に「ハニフノ八幡」などをみながら坂を下り、蓮沼はすぬまの遊佐氏館に至っている(越後下向日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報