20世紀日本人名事典 「谷川達海」の解説
谷川 達海
タニガワ タツミ
- 生年
- 嘉永5年2月11日(1852年)
- 没年
- 大正10(1921)年4月22日
- 出生地
- 備前国岡山(岡山県岡山市)
- 旧姓(旧名)
- 入江
- 経歴
- 岡山藩士の入江家に生まれ、のち同藩の槍術指南役を務める谷川家の養子となる。明治6年西毅一らとともに、江戸時代前期の岡山藩主・池田光政が設立した郷学・閑谷学校を再興。のち岡山県庁や神戸裁判所岡山支所勤務などを経て上京、法律を学んで代言人の資格を取得し、13年には岡山代言人組合の初代組合長となった。その間、12年に士族授産を目的とした有終社を結成し、実業界での活動を開始。17年には経営不振に陥っていた岡山紡績所を譲り受け、岡山紡績会社に改組。18年同社長に就任し、政府や旧岡山藩主池田家に援助を仰ぐなどの積極経営で社の再建に成功、岡山の紡績業発展の基礎を確立した。その後、岡山市会議員・岡山商業会議所初代会頭・岡山市議会議長などの要職を歴任し、岡山の産業発展に尽力。40年岡山紡績会社と京都の絹糸紡績会社との合併を機に専務職に退き、次いで44年同社と東京の鐘ヶ淵紡績との合併により引退。禅に深く傾倒したほか、山田方谷門下の陽明学者としても一家を成し、「孔門学流極致之標的及初学入手之端的釈義」などの著書もある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報