デジタル大辞泉
「原泉」の意味・読み・例文・類語
げんせん【原泉】[書名]
荻原井泉水の句集。昭和35年(1960)刊。大正元年(1912)から昭和20年(1945)頃までの作品を収める。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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原 泉
ハラ イズミ
- 職業
- 女優
- 本名
- 中野 政野
- 旧名・旧姓
- 原
- 別名
- 旧芸名=原 泉(ハラ セン)
- 生年月日
- 明治38年 2月11日
- 出生地
- 島根県 松江市
- 学歴
- 白潟小卒
- 経歴
- 10歳で母と死別。継母とうまくいかず、17歳で上京、プロレタリア運動や左翼演劇に共鳴し、昭和3年東京左翼劇場の研究生となる。5年詩人・中野重治と結婚。9年新協劇団に創立メンバーの一人として参加。15年同劇団の強制解散にからんで治安維持法違反で逮捕されたこともある。戦後、同劇団の再建に参加。25年からフリー。舞台や映画の老け役にユニークな演技を展開した。代表出演作に舞台「夜明け前」「火山灰地」、映画「女の園」「名もなく貧しく美しく」、テレビ「宮本武蔵」など。中野重治との往復書簡「愛しき者へ」がある。
- 没年月日
- 平成1年 5月21日 (1989年)
- 家族
- 夫=中野 重治(詩人・作家)
- 伝記
- あとや先き女優 原泉子―中野重治と共に生きてあとや先き夏の栞―中野重治をおくる 佐多 稲子 著藤森 節子 著佐多 稲子 著佐多 稲子 著(発行元 中央公論新社新潮社中央公論社新潮社 ’99’94’93’89発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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普及版 字通
「原泉」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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原 泉
ハラ イズミ
昭和期の女優
- 生年
- 明治38(1905)年2月11日
- 没年
- 平成1(1989)年5月21日
- 出生地
- 島根県松江市
- 本名
- 中野 政野
- 旧姓(旧名)
- 原
- 学歴〔年〕
- 白潟小卒
- 経歴
- 10歳で母と死別。継母とうまくいかず、17歳で上京、プロレタリア運動や左翼演劇に共鳴し、昭和3年東京左翼劇場の研究生となる。5年詩人・中野重治と結婚。9年新協劇団に創立メンバーの一人として参加。15年同劇団の強制解散にからんで治安維持法違反で逮捕されたこともある。戦後、同劇団の再建に参加。25年からフリー。舞台や映画の老け役にユニークな演技を展開した。代表出演作に舞台「夜明け前」「火山灰地」、映画「女の園」「名もなく貧しく美しく」、テレビ「宮本武蔵」など。中野重治との往復書簡「愛しき者へ」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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原泉 はら-いずみ
1905-1989 昭和時代の女優。
明治38年2月11日生まれ。中野重治の妻。昭和3年東京左翼劇場,9年新協劇団結成に参加。原泉子(せんこ)と名のり,「夜明け前」「火山灰地」などに出演。戦後,第2次新協劇団に参加。映画「女の園」「名もなく貧しく美しく」やテレビなどでも活躍した。平成元年5月21日死去。84歳。島根県出身。本名は中野政野。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の原泉の言及
【荻原井泉水】より
…関東大震災前後には〈自然,自己,自由の三位一体境〉(《新俳句提唱》1922)を志向,その志向のもとで[尾崎放哉](ほうさい),[種田山頭火](たねださんとうか)らが活躍した。井泉水の句は,《原泉(げんせん)》(1960),《大江(たいこう)》(1971)などに収録されているが,評論や随筆にも旺盛な筆力を発揮,65年に日本芸術院会員となった。〈棹さして月のただ中〉(《原泉》)。…
※「原泉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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