改訂新版 世界大百科事典 「豪円」の意味・わかりやすい解説
豪円 (ごうえん)
生没年:1535-1611(天文4-慶長16)
安土桃山~江戸初期の天台僧。現在の鳥取県米子市淀江町福岡に生まれ,幼にして大山(だいせん)寺に登って出家得度した。永禄年中(1558-70)比叡山東塔西谷地福院の住持となったといわれるが,それまで大山寺にのみ住山していたかどうか明らかでない。1568年(永禄11)ごろ,備前金山(かなやま)寺(岡山市)の住持となり,松田氏によって焼かれた堂塔の再建に努めた。幸い宇喜多直家の帰依をうけ,75年(天正3)堂塔伽藍を再興し,旧観に復した。そのため金山寺中興の祖と仰がれた。また比叡山東塔習禅院も兼掌し,織田信長に焼かれた堂塔の再建に努めた。1594年(文禄3)ごろには大山寺住持となり(永禄4年説もある),吉川氏の外護をうけ,一山の僧房伽藍の造営を行った。関ヶ原の戦後,伯耆の太守となった中村忠一は,大山寺領の没収を図ったが,豪円は幕府に訴えて朱印状を得,寺領3000石を確保し,大山寺の危機を救った。豪円の没所については,大山寺,金山寺など諸説があって一定しない。
執筆者:藤岡 大拙
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報