金山寺(読み)きんざんじ

精選版 日本国語大辞典 「金山寺」の意味・読み・例文・類語

きんざん‐じ【金山寺】

[1]
[一] 中国江蘇省金山にある江天寺の通称。旧名沢心寺。宋代、蘇軾が置いていったという玉帯を伝える。詩賦で知られる八角七層の塔は明清時代に再建されたもの。
[二] 朝鮮半島全羅北道金提郡母岳山にある寺。新羅の末葉、敬順王九年(九三五)、百済甄萱(けんけん)の創建。兵火に焼かれたが、創建当初の石造舎利塔、六重石塔などがあり、様式上特異なものを有する。
[2] 〘名〙 ⇒きんざんじ(径山寺)(二)

かなやま‐でら【金山寺】

岡山市金山寺にある天台宗別格本山。もと法相宗。山号は銘金山。正称は観音寺遍照院。天平勝宝元年(七四九孝謙天皇の勅命により報恩が創建。本尊千手観音京都清水寺の本尊と同木異体という。かなやまじ。きんざんじ。

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デジタル大辞泉 「金山寺」の意味・読み・例文・類語

きんざん‐じ【金山寺】

岡山市北区金山寺にある天台宗の寺。山号は銘金山、院号は遍照院。孝謙天皇のときの建立と伝え、天正3年(1575)円智が復興。近世、岡山藩主池田光政寺院整理政策に公然と抵抗したことで有名。平安末期以来の古文書を多数所蔵。かなやまじ。
中国、江蘇省鎮江北西の金山にある寺。武帝水陸会を初めて行った所と伝えられ、宋代以後、文人の遊行の地として知られる。
韓国、全羅北道金堤郡にある寺。599年の創建で、766年新羅の真表の再建と伝える。1592年、壬辰の乱(文禄の役)で焼失、のち再建。石造の塔、蓮台、灯籠などは創建当時のもの。クムサンサ。

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日本歴史地名大系 「金山寺」の解説

金山寺
かなやまじ

[現在地名]岡山市金山寺

正式寺名は銘金山観音寺遍照へんじよう院といい、市の中心部からは直線で北方約一〇キロを隔てた山上にある。JR津山線はら駅から渓流に沿って登ること約二キロ、金山(四九九・五メートル)の中腹の閑寂な環境にある山上伽藍で、県下第一の天台宗の古刹。現在の正式寺名の成立は、おそらくは近世期であって、平安時代から室町期にかけては金山寺あるいは金山観音寺と称していた。文禄四年(一五九五)一一月一六日の宇喜多秀家判物写(金山寺文書、以下断りのない限り同文書)の宛名は金山遍照院となっていて、同院が当時金山寺を代表する最有力寺院であったことをうかがわせるが、天正年間(一五七三―九二)遍照院主豪円が金山寺を復興したとの寺伝を勘案すると、この寺称変更は天正頃と考えてよさそうである。

金山観音寺縁起は、奥書に治承四年(一一八〇)の年紀を有するが、袖の部分に室町中期頃の備前守護代浦上則宗の花押があって、室町期の成立と考えられる。同縁起によると当寺は天平勝宝元年(七四九)に報恩大師が孝謙天皇の勅命によって建立した霊場で、報恩自作の本尊(千手観音)は、京都清水寺の本尊と同木異体であるという。なお報恩は津高つだか駅家うまや郷波河(芳賀)村の百姓野人の子とされる。創建時の寺は延久元年(一〇六九)にわかに炎上したが、直ちに再建、やがて常行三昧堂も建立された。しかし治承二年再び焼失、まもなく再建された。その頃、備中吉備津宮の社家の出身であった葉上房栄西が寺中の北西、本堂の西にあたる峰の尾前の平地に檜皮葺灌頂堂・護摩堂・宝蔵・方丈庵のほか僧坊を建てて遍照院と名付けたという。

当寺所蔵の古文書(金山寺文書)は旧備前域内で最も良質の文書で、そのうち主要な古文書七巻五二通と前掲の縁起一巻は国指定重要文化財となっている。

金山寺
きんざんじ

[現在地名]土浦市常名

常名ひたなの台地に至る坂の中腹にある。金峰山無量寿院と号し、真言宗豊山派。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば初めは板谷いたや(現中貫)にあり、禅宗であったが、やがて現在地に移されて真言宗に改めた。常名城主菅谷治貞の菩提寺で、宝篋印塔は治貞の墓と伝える。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金山寺」の意味・わかりやすい解説

金山寺
きんざんじ

韓国(大韓民国)、全羅北道(ぜんらほくどう/チョルラブクト)金堤(きんてい/キムジェ)市金山面金山里にある寺。母岳山金山仏寺という。百済(ひゃくさい)の599年(法王1)に創建され、新羅(しらぎ)の766年(恵恭王2)真表律師によって再建されたと伝える。法相(ほっそう)宗の中心をなした寺院であった。新羅末期の後百済(ごひゃくさい)神剣によって王甄萓(しんけん)が幽閉された場所としても有名である。高麗(こうらい)(918~1392)中期には真応が住持し、多くの著書を著すとともに、経板彫造院を創設し、慈恩(じおん)大師基(き)の著書の校正開板に意を尽くした。のち大伽藍(がらん)が結構されたが、壬辰倭乱(じんしんわらん)(1592~96、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮侵略)で灰燼(かいじん)に帰した。その後、次々と復興され、現在は大規模な建造物をもって知られる。寺中の幢竿(どうかん)支柱や五層石塔、六角多層石塔は創建当時のものとされ、高麗時代に盛行をみる石塔の原型となった。大寂光殿、大蔵殿、わけても弥勒(みろく)殿は建築史上注目される国宝建築である。

[里道徳雄]

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世界の観光地名がわかる事典 「金山寺」の解説

きんざんじ【金山寺】

中国の江蘇(こうそ)省、鎮江(チェンチアン)市西部の金山の山頂にある仏教寺院。創建は東晋の時代(317~420年)とされる。◇もとは「沢心寺」と呼ばれていたが、唐の時代に「金山寺」と改称され、明の時代には「龍遊寺」、清代には「江天禅寺」と、寺名は転々とした。境内には、楞伽台、観音閣、慈寿塔、留雲亭、法海洞などの独特の建物がある。宋から明の時代、数多くの文人墨客に愛された。中国の民間伝説の「白蛇伝」の中に登場する金山寺はこの寺であろうと推定されているが、定かではない。また、和歌山県特産の金山寺味噌は、弘法大師(空海)がこの金山寺から日本に持ち帰ったとする説もあるが、ほかにも諸説があり、定かではない。

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百科事典マイペディア 「金山寺」の意味・わかりやすい解説

金山寺【かなやまじ】

岡山市にある天台宗の寺。749年報恩大師が孝謙天皇の勅命で建立という古刹で,本尊千手観音は京都清水寺の本尊と同木異体であるという。中世までは金山観音寺・有力僧坊の名から金山遍照(へんじょう)院とも呼ばれた。1575年宇喜多直家(なおいえ)の外護で建立の本堂,平安時代の3通を含む古文書52通と金山観音寺縁起は重要文化財。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「金山寺」の解説

金山寺
きんざんじ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
寛文7.1(江戸・坂東又九郎座)

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世界大百科事典(旧版)内の金山寺の言及

【栄西】より

…このとき30余部60巻の天台の新章疏をもたらし天台座主明雲に呈している。帰朝後は備前,備中方面の日応山,金山寺など山岳寺院を拠点とし,とくに金山寺には山内の一画に遍照院を建立して一山の復興に貢献した。75年(安元1)筑前国の貿易港今津に創建された誓願寺に招かれ,落慶供養の阿闍梨(あじやり)をつとめ,その後宋版一切経の購入をめざしてこの寺に住し,法華一品経書写の勧進も行っている。…

※「金山寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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