日本歴史地名大系 「貞観寺跡」の解説
貞観寺跡
じようがんじあと
〔創建・寺領〕
「三代実録」貞観一六年(八七四)三月二三日条に「夫貞観寺者、先皇仁寿之初、今上降誕之日、星垂長男之光
、月有
重輪之慶
、故太政大臣
竜姿之不
免
在
襁褓
、憐
鳳徳之未
得
勝
衣、与
僧正真雅和尚
私相謀、使
念
諸仏之加持
、修
真言之秘密
」とみえ、人臣初の摂政となった藤原良房が、娘明子(文徳天皇妃)の産んだ惟仁親王(のち清和天皇)加護のため、空海の弟子真雅と図って建立。当初、文徳天皇建立の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報