中国、浙江(せっこう/チョーチヤン)省紹興(しょうこう/シャオシン)府会稽(かいけい)にある寺。東晋(とうしん)の孝武帝(在位372~397)のとき、瑯(ろうや)の王薈(おうかい)が竺道壱(じくどういつ)のために建立した名刹(めいさつ)である。竺道壱は律行厳正をもって名をなし、九州都維那(といな)とよばれ、嘉祥寺も道壱の名とともに広く知られた。のちに慧虞(えぐ)、慧皎(えこう)らが住したが、梁(りょう)の慧皎はこの寺にあって『高僧伝』を著した。さらに隋(ずい)の開皇年中(581~600)吉蔵(きちぞう)が住持し、講席に連なる者1000余人に及び、三論宗の牙城(がじょう)ともいわれ、吉蔵は嘉祥(かしょう)大師とよばれた。琅邪王氏出身の王羲之(おうぎし)7代の孫である書家の智永(ちえい)もまた、この寺で読書したと伝える。
[里道徳雄]
京都市伏見(ふしみ)区深草(ふかくさ)坊町にある天台宗に属する寺。850年(嘉祥3)仁明(にんみょう)天皇の勅命により皇太子道康(みちやす)親王が創建し、その年号を寺号とした。851年(仁寿1)文徳(もんとく)天皇は堂宇を落成して空海の弟子真雅(しんが)を開山とした。文治(ぶんじ)年間(1185~90)兵火により炎焼し、1352年(正平7・文和1)再建された。歴代の法皇自らが当寺で追善作福(ついぜんさふく)したが、のち衰退廃絶した。瓦(かわら)町の善福寺にある礎石や庭石はその遺跡といわれる。現在の嘉祥寺は1662年(寛文2)空心(契冲(けいちゅう))が安楽行院の旧跡に再興したものという。
[大鹿実秋]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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