日本歴史地名大系 「贄川番所」の解説
贄川番所
にえかわばんしよ
[現在地名]楢川村大字贄川
宝暦三年(一七五三)の「千曲之真砂」に「片平村にへ川橋を渡りて尾州公の関所有、関を越し、小坂をのほりてにへ川に入ル」とあるように、贄川番所は贄川宿の北端江戸方入口に設けられていた。贄川宿の町並をはずれた坂道の途中に番所跡がある。
贄川番所の創設は古く、木曾の南端
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
宝暦三年(一七五三)の「千曲之真砂」に「片平村にへ川橋を渡りて尾州公の関所有、関を越し、小坂をのほりてにへ川に入ル」とあるように、贄川番所は贄川宿の北端江戸方入口に設けられていた。贄川宿の町並をはずれた坂道の途中に番所跡がある。
贄川番所の創設は古く、木曾の南端
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