日本歴史地名大系 「赤星村」の解説 赤星村あかほしむら 熊本県:菊池市赤星村[現在地名]菊池市赤星出田(いでた)村の北東にあり、菊池川が北西部を流れる。菊池川を隔てて深川(ふかがわ)村に相対している。隈府(わいふ)町高札辻より約一八町。観応三年(一三五二)二月書写の天満宮安楽寺領目録(太宰府神社文書)に「赤星庄」とみえ、安楽寺領で田租のみを負担する「半不輸」の荘園であったが、当時菊池武光ら肥後の南朝方勢力に押領されていたことが知られる。中世赤星氏の根拠地といわれる。天正一七年(一五八九)の検地帳に田二九町八反二畝余・畠九四町二反八畝余、分米九七二石三斗余とある。 赤星村あかほしむら 福島県:耶麻郡塩川町赤星村[現在地名]塩川町会知(かいち)貝沼(かいぬま)村の西、日橋(につぱし)川の北岸に位置する。慶徳組に属し、西は大沢(おおさわ)村、北は鎧召(よろいめし)村。端村として寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では赤沢(あかざわ)・七壇(しちだん)・河原(かわら)があげられるが、「新編会津風土記」では向河原(むかいがわら)のみを記す。同書によるとかつて本村集落は七町余ほど南西方にあったが、たびたび日橋川の洪水に遭ったため延宝年中(一六七三―八一)端村七壇とともに赤沢の地に移ったという。このため本村・七壇・赤沢は一村のようになった。また当村は一時赤伏(あかふし)村と称していたが、寛文年中赤星の旧名に復したとも記す。天文一二年(一五四三)に新宮(しんぐう)熊野社(現喜多方市)の大祭で行われた田楽相撲の記録を同一四年一月吉日に書写した相撲田楽日記(新宮雑葉記)の番付第五番、取組第七番に赤伏とみえ、当地からも田楽相撲に参加していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by