番付(読み)バンヅケ

デジタル大辞泉 「番付」の意味・読み・例文・類語

ばん‐づけ【番付】

相撲の本場所で、力士の序列を表にしたもの。また、その体裁にならって、ある事柄について人名などを順序づけて並べた一覧表。「春場所番付」「長者番付
芝居などで、興行の宣伝や案内のために出された刷り物。上演月日・演目・出演者・配役・座名などを記したもの。「正月興行の番付

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改訂新版 世界大百科事典 「番付」の意味・わかりやすい解説

番付 (ばんづけ)

順番,番号,またそれらを記した表や図面をいい,相撲や芝居などでは番組,役付などについても番付と呼ぶ。

建物を組み立てるため,柱,梁(はり),桁(けた)などの部材につける符号,およびそのシステムを番付という。新築では枘(ほぞ)や柱の床下部分など,完成時に見えなくなる部分に書き,建物の解体では木札に書いて打ちつける。〈いろは〉と〈一二三〉などを縦横2方向に組み合わせる〈組合せ番付〉,渦巻状に番号をつけていく〈回り番付〉,ジグザグ状に番号をつける〈時香番付〉などがある。奈良時代,平城宮朝集殿を唐招提寺に講堂として移築する際の番付が,現存する最古の例である。なお番付を表示した大工の平面図も番付と呼ばれる。
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芝居番付〉ともいう。種類は以下の4種に分かれる。歌舞伎の座組が1年単位を原則にし,その陣容紹介の顔見世興行が慣例化した万治・寛文期(1658-73)から〈役者付〉が刊行され始める。いわゆる〈顔見世番付〉である。続いて興行ごとの演目や配役を知らせる〈辻番付〉や〈役割番付〉が刊行される。また演目の内容を絵にした〈絵本番付〉もある。以上の4種を,時代による変化にはこだわらず,形式がほぼ固まった宝暦期(1751-64)のものの基本を説明する。(1)顔見世番付 〈役者付〉〈面付(つらづけ)〉とも。向こう1年間契約をした役者をはじめ,狂言作者囃子方,振付師などを連記し,顔見世興行前に刊行。大判一枚摺で,下半分はおもな役者の姿絵が描かれている。中央が座頭,その左右に立女方,二枚目女方など。両端にいくに従い格が下がる。上半分の文字の部分(面付(めんづけ)という)は2段に分かれ,上段中央に櫓紋を描き,その下段には座元名(のちに座名),その左右に若女方名を記す。面付の上段の初筆(右端)は立女方,または座頭に次ぐ地位の者。次に二枚目女方,あと実悪の位置となる。下段の初筆は座頭,次に二枚目立役と続く。1675年(延宝3)のものが古い。大坂は大判一枚摺。右端に座本の定紋と名前,中央左寄りに立女方や若女方を記す欄(太夫座という)がある。その他は4段に分けて,2段目を幅広くとる。

 座本と太夫座の間を〈八枚看板〉と称し,座頭以下のおもな役者を記す。初筆が立役の大立者,留筆が座頭。絵はない。京では,大判半截の横長一枚。〈根本極(こんぽんきわまり)〉で始まるので〈極番付〉ともいう。座本の定紋と名前の後を2段に分け,上段の初筆は立女方,下段は座頭から始まる。絵はない。(2)辻番付 〈櫓下(やぐらした)番付〉〈配(くばり)番付〉〈辻ビラ〉とも。開場前,市中や湯屋など人の集まる所に貼る。一方,贔屓(ひいき)先に配る。江戸は大判一枚摺。右方に狂言の大名題・小名題などを記し,以下上下に分けて,上部はおもな登場人物の絵を描き,それに扮する役者の定紋を付ける。下部は役人替名(やくにんかえな)(配役)を記す。書出し(実力,人気ともにそなえた立役),二枚目立役または女方と続き,中央が中軸(なかじく)(座頭と対等の実力者),最後が座頭,その前に立女方。順位は座頭,中軸,書出し,それ以下は後(立女方),前(二枚目)と交互に続き,中軸に近づくほど下位となる。最後に座名を記す。上演月日を記す場所は一定していない。辻番付の一種に〈追(おい)番付〉がある。小型が多いので〈小番付〉とも。狂言の差替えなど変更が生じた場合に出す。大坂は大判縦の一枚摺。枠外右端に上演月日と劇場名。枠の中は上下2段に分け,上段がおもな場面の絵。下段に座本,狂言外題,割外題,口上などを記す。役人替名は出さない。京は大坂とほぼ同じ。(3)役割番付 江戸では〈紋番付〉とも。半紙6ページ。第1ページは中央に櫓紋,座元名。左右は5段に分け,役者名と定紋を記す。2段目の2列目が座頭,その上が立女方など,第2ページも中通り(ちゆうどおり)以下の役者と定紋を規則通りに記す。第3ページ以下は大名題,小名題,浄瑠璃名題など。また役割のほか浄瑠璃太夫三味線,狂言作者の連名があり,最後が座名。大坂は半紙一枚摺。枠外右方に上演月日と劇場名。枠の中は座本の定紋と名前,狂言外題や割外題。以下を2段に分け,役人替名,浄瑠璃太夫,三味線,狂言作者など。京は〈極番付〉と同様横長の一枚または二枚摺。初めに大名題,次に名代,座本,ワキ狂言,二番目狂言,再び三番続きの大名題・小名題,役人替名,後部に狂言作者,上演月日。演目・配役が確定してから作られ,劇場や芝居茶屋で売り出されたものであるが,番付通りにならず,演目や出演者を変更した一部手直しの番付いわゆる〈別番付〉がある。(4)絵本番付 〈絵番付〉〈芝居絵本〉とも。芝居の内容を絵にし,簡単な文章を散らした20ページ前後の一冊本。興行が始まった後,劇場や芝居茶屋で売り出された。江戸のものは小ぶりの半紙判,共紙の表紙に櫓紋と狂言名題,裏表紙に狂言作者名。その間が絵。大坂は半紙本で,鼠色の厚表紙に狂言外題と座本名を記した題簽(だいせん)を貼ったものと,共紙の表紙に色刷のものと2種類ある。内容は江戸と同じく絵を主にし文章を散らしたものであるが,江戸と違って狂言作者は記さない。京は大坂とほぼ同じ。

歌舞伎番付に比し現存番付の量がきわめて少ないが,顔見世番付,辻番付,役割番付,絵本番付の4種に分けることができる。そのほか,歌舞伎と人形の打交ぜ興行番付,竹田からくり番付,初午(はつうま)芝居番付などもある。浄瑠璃番付に関しては大坂の役割番付を中心に述べておく。享保期(1716-36)にはすでに刊行され,現在数点を残している。座本の定紋と名前,外題,太夫と人形役割からなる。延享期(1744-48)に入りようやく三味線の名前があがってくる。このころから一枚に絵を配した二枚一組の番付が始まり,明和ころ(1770前後)まで続く。この後,一枚番付の方が多くなるが,江戸には幕末まで二枚一組の形式が残る。一枚番付の形式は,枠外右方に上演月日と劇場名,枠の中はまず太夫の定紋と名前,次が外題や割外題,以下を2段に分け,上段は太夫の役割と三味線の連名。下段は人形役人付,頭取など。三味線の順位は,書出し,次が筆下,3位が書出しの次,4位が筆下の前,次が中軸,以下,前後前後と交互に並ぶ。人形遣いは,筆下が第1位,次が書出し,第3位が中軸,以下,後前後前と交互に並ぶ。

 これらのほかに,興行とは関係なく,相撲番付にならって,役者の格付,給金なども見立てた〈見立番付〉がある。
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力士,行司,年寄の階級・地位を示す一覧表のことを相撲番付という。江戸勧進相撲の制度が成立した1699年(元禄12)ころから番付が編成され,興行場や盛り場に板番付が張り出された。木版刷の番付は1717年(享保2)が最古で,当時相撲界の中央であった京坂において配布された。その後江戸の繁栄にしたがって,57年(宝暦7)江戸相撲も初めて木版刷番付を発行したが,京坂にくらべ力士数が少ないため,当時としては新機軸である独特の縦一枚番付の形式で印刷した。京坂では横二枚番付で東西に分けたが,江戸番付は一枚番付で東西に分け,この形式は内容的に種々の変遷を経ているものの現在に及んでいる。江戸番付は初め7段あって,前相撲まで載せたが,4年後には5段になり,〈此外前相撲東西ニ御座候〉の但し書とともに,その形式は現在に至るまで変わりない。江戸時代の番付の呼称は,上段,二段目,三段目,四段目,五段目といったが,大関,関脇,小結に続く前頭は初め三段目中途まであり,それがしだいに整備され,前相撲の頭(かしら)の意味である前頭は上段に制限され,幕内といわれた。五段目は上ノ口(明治から序ノ口)と呼ばれた。幕末のころの前頭は東西に8,9枚であるため,二段目上位が十両関取待遇になり,1888年からはっきり肉太に書かれて区別されるようになった。現在の番付は,年6回の本場所初日の13日前に,相撲協会から発行される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「番付」の意味・わかりやすい解説

番付
ばんづけ

相撲(すもう)、歌舞伎(かぶき)、演芸などの人名を階級か順序に従って記した一覧表。または相撲、演芸の組合せを表にした番組のこともいうが、相撲は主として一枚番付と取組表の番組とは区別しており、能、歌舞伎、寄席(よせ)演芸は番組をさしていう場合が多い。たとえば、芝居番付といえば歌舞伎の番組をいう。一般の俗語として「番付が違う」といえば「階級が違う」「貫禄(かんろく)が違う」という意味になる。

 相撲番付は平安朝の番文(つがいぶみ)(交名簿(きょうみょうぼ))が起源で、いまいう番組だけであった。当時の最高位の最手(ほて)、次位の脇(わき)(腋、助手(すけて))が、江戸時代になって大関、関脇の名称になった。1757年(宝暦7)に江戸相撲が初めて縦一枚木版刷りの相撲番付を発行してから、この番付をまねてあらゆるものに階級・順序をつけた番付を発行することが流行し、明治のころまで版行されていた。これを「変り番付」といって、全国の山、川、橋の大きさなどの番付を作製、また、学者、武芸者、各地の物産、名所古跡、仇討(あだうち)物語、流行語、悪妻良妻の比較番付など、あらゆる分野にわたっており、知識を開発する百科事典式な役目と教育普及指導の役割を果たしていた。現在では、釣果(ちょうか)番付、盆栽関係の番付、酒豪番付、俚訛(りか)番付などがあるが、一地方かグループによる番付で、江戸時代のように全国的には発行されていない。

 相撲番付の書体は、長く番付発行権をもっていた版元の根岸家の番頭が書いていたので根岸流といい、現在の書体は幕末のころ確立した。いまは行司が根岸流を受け継いで、「相撲字」といわれる特別に筆太な書体で書いている。歌舞伎や寄席演芸の看板や番組に書く書体は、天保(てんぽう)(1830~44)のころから勘亭が書き始めたので「勘亭流」といわれた。よく一般に相撲字を勘亭流というのは誤りである。

 なお相撲番付には、昔から災難除(よ)け・無病息災の信仰があって、家の入口や玄関に張り出す風習がある。

[池田雅雄]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「番付」の意味・わかりやすい解説

番付
ばんづけ

歌舞伎,人形浄瑠璃,その他の興行を宣伝し,その内容や配役を知らせるための印刷物。本来は順序を記したものの意で,相撲番付,役者の位付 (くらいづけ) ,給金付,見立番付なども含まれる。 (1) 歌舞伎番付には,顔見世番付 (毎年 11月に一座の顔ぶれを記したもの) ,辻番付 (演目と配役を記し,街頭に掲げたもの) ,役割番付 (江戸では紋番付ともいい,表紙に出演者の紋を掲げ,狂言の場割と配役を記したもの) ,絵本番付 (狂言の内容を絵によって示したもの,絵尽しともいう) などがあった。 (2) 相撲番付は,力士,行司などの地位を表示する一覧表。節会 (せちえ) 相撲の相撲人交名 (きょうみょう) を工夫して江戸時代にできた。元禄年間 (1688~1704) は板番付を立てたものであったが,享保年間 (16~36) になってから印刷,配布されるようになった。中央部の蒙御免の文字の下に行司,取締,相談役,勧進元を書き,右側に東方,左側に西方を5段に記す。

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百科事典マイペディア 「番付」の意味・わかりやすい解説

番付【ばんづけ】

芸能や勝負事などの番組を記したもの,あるいは一覧表。相撲の番付から出たもので,芝居をはじめ諸道の人気番付,長者番付などがある。歌舞伎番付は興行の宣伝,演目の内容や配役を示すもので,江戸時代には顔見世興行のときの顔見世番付や町辻に掲げた辻番付,外題,役割を記した役割番付(紋番付とも),絵本仕立の絵本番付など各種が刊行された。また人形浄瑠璃(じょうるり)にも一枚刷の浄瑠璃番付がある。

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とっさの日本語便利帳 「番付」の解説

番付

力士の強さに準じたランク。横綱に次いで上から大関、関脇、小結(以上三役)、前頭(ここまでが幕内)、十両(十枚目、ここまでが関取)、幕下、三段目、序二段、序ノ口。

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