日本歴史地名大系 「赤根村」の解説 赤根村あかねむら 大分県:東国東郡国見町赤根村[現在地名]国見町赤根千灯(せんどう)村の南、伊美(いみ)川最上流域を占め、周囲を千灯岳(六〇五・八メートル)、文珠(もんじゆ)山(六一六・二メートル)、両子(ふたご)山(七二〇・八メートル)、伊美山(四九六・七メートル)などの山々が取囲む。山間の地であるが、東方は犬鼻(いぬばな)峠越で成仏(じようぶつ)(現国東町)、水谷(みずたに)峠越で来浦(くのうら)(現同上)に、南は両子山の鞍部を経て両子(現安岐町)に、南西は地蔵(じぞう)峠越で真玉(またま)(現真玉町)に通じる交通の要地であった。 赤根村あかねむら 静岡県:周智郡森町赤根村[現在地名]森町一宮(いちみや)谷川(やがわ)村の北西にあり、赤石山脈南端丘陵地、南西流する伏間(ふすま)川と一宮川の合流点の左岸に位置する。周知(すち)郡に属する。村名は南東に赤土山があり、土質が赤土であることにちなむという(遠江国風土記伝)。天正一七年(一五八九)七月七日付の徳川家七ヵ条定書写のなかに、「赤根村」宛の一通(御庫本古文書纂)がある。正保郷帳では高一三六石余、うち田方七六石余・畑方一九石余が常陸牛久藩領、柴山と注記される。 赤根村あかねむら 愛知県:宝飯郡御津町赤根村[現在地名]御津町赤根大草(おおくさ)村の西に続いて海に面する。元和年間(一六一五―二四)より幕府領、寛永一九年(一六四二)松平長三郎知行所、寛文四年(一六六四)幕府領、元禄八年(一六九五)一色丹後守領となって明治に至る。村域内に小栗(おぐり)屋敷跡がある。植田義方の「石梁随筆」に「赤根村に小栗氏あり。小栗小次郎助重鎌倉より遁れ参り、赤根の郷士小栗惣兵衛といふ者縁者たるにより、この処に寓居す。年歴て小栗惣兵衛は同国吉田駅札木町に出て町人となる。赤根屋惣左衛門といふ」の記事がある。後に一色丹後守が小栗屋敷を住居に使ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by