赤桶村(読み)あこうむら

日本歴史地名大系 「赤桶村」の解説

赤桶村
あこうむら

[現在地名]飯高町赤桶

作滝さくたき村の北西にあり、櫛田くしだ川の左岸に赤桶村の本村があり、右岸向赤桶むかいあこうとよばれている。村域の中央部を和歌山街道が通る。「五鈴遺響」は「旧名閼伽桶今訛テ阿加宇ト称ス」と記す。天正四年(一五七六)北畠具教が織田信雄の家臣らによって謀殺されると、翌年、具教の弟で奈良興福寺東門院にあった北畠具親は伊賀に入り、北畠氏の再興を図ろうと三瀬みせ(現多気郡大台町)多芸たげ(現一志郡美杉村)小倭おやまと(現一志郡白山町)川俣かばたの諸侍に挙兵を呼掛けた。川俣筋では波瀬はぜみね以下川俣侍五〇人ほどが一味同心して具親方に加わり、当地の諸侍も従った(勢州軍記)


赤桶村
あこけむら

[現在地名]上宝村赤桶あかおけ

高原たかはら川上流左岸にある小山村。対岸東方は笹島ささじま村。元禄飛騨国検地反歩帳によると、高原郷に属し、高九石余、田はなく畑地三町五反余。「飛騨国中案内」では免四割三分二厘八毛、家数一五(うち百姓一二・門屋三)。天明八年(一七八八)の村明細帳によると、畑二〇石余、うち新田高一一石余・反別八町三反余、家数一六、男三二・女二八、牛六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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