赤部村(読み)あかべむら

日本歴史地名大系 「赤部村」の解説

赤部村
あかべむら

[現在地名]広陵町大字三吉みつよし

馬見うまみ丘陵東端、斎音寺さいおんじ村西南に位置。赤部は赤穂と同義、赤生あかふ(丹生)か。「豆山(馬見丘陵)三里小石なし」といわれたように良質粘土の産地で、天平二〇年(七四八)の弘福寺三綱牒(東寺文書)に「広湍郡庄家田畠瓦山等事(中略)瓦山壱処在同郡在瓦竈参口」とあり、馬見丘陵中から奈良朝時代瓦窯跡が出土している。中世、興福寺支配下の赤土器あかかわらけ座が所在したともいわれる。

「日本書紀」天武天皇七年四月条に「十市皇女を赤穂に葬る」、同一一年正月条に「氷上夫人を赤穂に葬る」とある。


赤部村
あかぶむら

[現在地名]河芸町赤部

久知野くちの村の南側に広がる丘陵を越えたところ、丘陵の山間に位置する。文禄検地帳(徳川林政史蔵)には「赤部之郷御検地帳」と標題がつけられている。文化三年(一八〇六)の大指出帳(津市田中繁三氏蔵)によると、家数二八、人数一一九、寺は法蔵ほうぞう(真宗高田派)一ヵ寺でそのまま現存し、社は牛頭ごず天王八王子天神の三社で、牛頭天王社を八雲やくも神社と改め、明治四〇年(一九〇七)他の二社を合祀している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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