越路 吹雪
コシジ フブキ
- 職業
- 歌手 女優
- 本名
- 内藤 美保子(ナイトウ ミホコ)
- 旧名・旧姓
- 河野
- 生年月日
- 大正13年 2月18日
- 出生地
- 東京市 麹町区(東京都 千代田区)
- 学歴
- 飯山高女中退,宝塚音楽歌劇学校卒
- 経歴
- 昭和14年宝塚歌劇団に入り、「花物語」でデビュー、男役スターとして人気を得た。24年「ブギウギ巴里」でコロンビアからレコードデビュー。25年からNHK「愉快な仲間のレギュラーとして活躍。26年に宝塚在籍のまま東宝・帝劇ミュージカルの「モルガンお雪」に出演して大ヒットしたのを機に宝塚を退団。その後は東宝や劇団四季の主なミュージカルで人気を呼ぶ一方、シャンソンを日本の風土に溶けこませ、また映画やテレビ、新派、歌舞伎、新劇などジャンルを超えてスケールの大きいエンターティナーとして活躍した。舞台の代表作に、ミュージカル「お軽と勘平」「王様と私」「結婚物語」「アプローズ」、ドラマチック・リサイタル「愛の讃歌」など、代表曲に「愛の讃歌」「ビギン・ザ・ビギン」「ラスト・ダンスは私に」「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」「人生は過ぎゆく」などがある。特に日生劇場でのロング・リサイタルは必ず満員という人気振りだった。映画出演も多く、市川崑監督の喜劇「足にさわった女」「プーサン」「愛人」「ぼんち」などでのトボケた味のある洒脱な演技や、マキノ雅弘監督の「次郎長三国志」(第6部〜8部)の男まさりの女房役などで好演。平成8年あがた森魚や小島麻由美らによる追悼盤CD「拝啓、越路吹雪様」、11年宝塚歌劇団の後輩トップスターらによるトリビュートアルバムがリリースされる。旧姓の河野から“コーちゃん”の愛称で呼ばれた。
- 受賞
- テアトロン賞(昭32年度)「バス・ストップ」,日本レコード大賞歌唱賞(第7回)〔昭和40年〕「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」,芸術祭賞奨励賞(大衆芸能部門2部 第23回 昭43年度),芸術祭賞優秀賞(大衆芸能部門2部 昭46年度),芸術選奨文部大臣賞(第22回 昭46年度)「越路吹雪ロングリサイタル」,ゴールデン・アロー賞大賞(第9回 昭46年度),日本レコード大賞特別賞(第14回)〔昭和47年〕,毎日芸術賞特別賞(第22回 昭55年度)
- 没年月日
- 昭和55年 11月7日 (1980年)
- 家族
- 夫=内藤 法美(作曲家)
- 親族
- 友人・マネージャー=岩谷 時子(作詞家)
- 伝記
- 越路吹雪―愛の讃歌夢の中に君がいる―越路吹雪物語 松本 徳彦 写真島野 盛郎 著(発行元 淡交社白水社 ’03’88発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
越路 吹雪
コシジ フブキ
昭和期の歌手,女優
- 生年
- 大正13(1924)年2月18日
- 没年
- 昭和55(1980)年11月7日
- 出生地
- 東京・麴町
- 本名
- 内藤 美保子(ナイトウ ミホコ)
- 旧姓(旧名)
- 河野
- 学歴〔年〕
- 宝塚音楽歌劇学校卒
- 主な受賞名〔年〕
- テアトロン賞(昭32年度)「バス・ストップ」,日本レコード大賞歌唱賞(第7回)〔昭和40年〕「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」,芸術祭賞奨励賞(第23回・昭43年度・大衆芸能部門2部),芸術祭賞優秀賞(昭46年度・大衆芸能部門2部),ゴールデン・アロー賞大賞(第9回・昭46年度),日本レコード大賞特別賞(第14回)〔昭和47年〕,毎日芸術賞特別賞(第22回・昭55年度)
- 経歴
- 宝塚歌劇団に入り、昭和14年「花物語」でデビュー、男役スターとして人気を得たが、26年に宝塚在籍のまま東宝・帝劇ミュージカルの「モルガンお雪」に出演して大ヒットしたのを機に宝塚を退団。その後は東宝や劇団四季の主なミュージカルで人気を呼ぶ一方、シャンソンを日本の風土に溶けこませ、また映画やテレビ、新派、歌舞伎、新劇などジャンルを超えてスケールの大きいエンターティナーとして活躍した。舞台の代表作に、ミュージカル「お軽と勘平」「王様と私」「結婚物語」「アプローズ」、ドラマチック・リサイタル「愛の讃歌」など、代表曲に「愛の讃歌」「ラスト・ダンスは私に」「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」などがある。特に日生劇場でのロング・リサイタルは必ず満員という人気振りだった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
越路吹雪
こしじふぶき
(1924―1980)
女優、歌手。東京生まれ。本名内藤(旧姓河野)美保子。女学校を中退して1937年(昭和12)宝塚音楽歌劇学校に入り、39年4月宝塚歌劇の初舞台を踏む。43年主役を勤め、第二次世界大戦後スターとなり、「コーチャン」のニックネームで人気を集めた。50年(昭和25)在籍のまま映画出演、51年には帝劇のコミック・オペラ『モルガンお雪』『マダム貞奴(さだやっこ)』を演じて名声をあげ、同年宝塚を退団。以後映画と舞台にわが国を代表する女性エンターテイナーとして活躍。その間53年に初めてパリを訪れてからシャンソンに対する情熱を深め、61年『ラスト・ダンスは私に』、64年『サン・トワ・マミー』などのヒットを放つ。さらに『王様と私』『結婚物語』『アプローズ』などの翻訳ミュージカルに出演して成功を収めた。特筆すべきは生涯に35回行ったリサイタルで、15回目以降は1か月のロングランを日生(にっせい)劇場で行い話題をよんだ。
[永田文夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
越路吹雪
こしじふぶき
[生]1924.2.18. 東京
[没]1980.11.7. 東京
歌手,女優。本名内藤美保子。 1939年宝塚音楽歌劇学校卒業。『花物語』でデビュー。第2次世界大戦後,優れた歌唱力をもつ男役として売り出す。 1950年宝塚在籍のまま東宝映画『東京の門』に出演,翌年主演した第1回帝劇ミュージカル『モルガンお雪』がヒットし,続く『マダム貞奴』出演中に宝塚を退団。ミュージカルの代表作は『王様と私』 (1965日本初演) ,『結婚物語』 (1969同) ,『アプローズ』 (1972同) など。本領を最も発揮したリサイタルでは,『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』などのシャンソンをドラマとして歌いあげる独特の「越路節」とエレガントな雰囲気が観客を酔わせた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
越路吹雪 こしじ-ふぶき
1924-1980 昭和時代の歌手,女優。
大正13年2月18日生まれ。宝塚歌劇団で乙羽(おとわ)信子らと同期。戦後シャンソンをうたい,昭和26年帝劇で「モルガンお雪」に出演,日本最初のミュージカル女優となった。映画でも活躍。47年芸術選奨。昭和55年11月7日死去。56歳。東京出身。本名は内藤美保子。ヒット曲に「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
こしじふぶき【越路吹雪】
新潟の日本酒。酒名は、日本海からの強い風に粉雪が地吹雪となる様子に由来。純米大吟醸酒、大吟醸酒、吟醸酒、純米酒などがある。平成2、3、9、13、15、16、18、22、26年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は五百万石、ゆきの精など。仕込み水は信濃川の伏流水。蔵元の「高野酒造」は明治32年(1899)創業。所在地は新潟市西区木山。
出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
越路 吹雪 (こしじ ふぶき)
生年月日:1924年2月18日
昭和時代の歌手;女優
1980年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
越路吹雪
新潟県、高野酒造株式会社の製造する日本酒。全国新酒鑑評会で金賞の受賞歴がある。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
世界大百科事典(旧版)内の越路吹雪の言及
【軽演劇】より
…一方,劇場では55年に入って,ドイツ文学者でまたコント作家でもあった秦豊吉(1892‐1956)が実現した〈帝劇ミュージカルス〉によって,戦前の〈東宝劇団〉〈ロッパ一座〉,戦後の〈ムーラン・ルージュ〉などの長い下積みを経た森繁久弥が脚光を浴びた。56年にはさらに東京宝塚(東宝)劇場が,占領軍の接収解除によって活動を再開,東宝重役となった菊田一夫によって大劇場形式のミュージカルが提唱され,エノケン,ロッパ,トニー谷(1917‐87),三木のり平(1923‐ ),有島一郎,越路吹雪(1924‐80),宮城まり子(1929‐ )ら,戦前派・戦後派のタレントが活躍の場を得た。だが,オールスターキャスト型のこうした舞台は,かつての軽演劇のニュアンスからは,程遠いものとなった。…
※「越路吹雪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」