日本大百科全書(ニッポニカ) 「日生劇場」の意味・わかりやすい解説
日生劇場
にっせいげきじょう
劇場名。東京都千代田区有楽町にある。日本生命保険相互会社の創業70年記念事業として村野藤吾(とうご)設計による東京本社ビルが建てられ、その中に、企業イメージの向上を図って設けられた。客席は1、2階だが、中2階にグランド・サークルと称するバルコニー席を設けた洋風劇場で、定員1334名。1963年(昭和38)ベルリン・ドイツ・オペラ『フィデリオ』で開場、続いて千田是也(せんだこれや)、福田恆存(つねあり)、浅利慶太(あさりけいた)を専属プロデューサーに起用して本格的なプロデューサー・システムを導入し、初代水谷八重子・仲代(なかだい)達矢の顔合せによる花田清輝(きよてる)作・千田演出『ものみな歌でおわる』で演劇公演を開始、従来の商業演劇とも新劇とも異なる新しい演劇形態を目ざしたものの行き詰まり、65年から劇団四季と提携してジロドゥー作・浅利演出『オンディーヌ』などのヒットを生んだ。しかし70年に自主制作を中止、松竹・東宝・四季を相手とする貸し事業が主となって、四季と組んでの児童を対象とする1964年からの「ニッセイ名作劇場」公演のみを自主制作としている。これは当初都内の小学生のみを無料招待していたが、73年から大阪での公演が追加され、以後、全国の教育委員会などの協力で全国展開の催しになり、招待された児童数は2001年度(平成13)までに560万人を超えた。
[大笹吉雄]
『大笹吉雄著『劇場が演じた劇』(1999・教育出版)』