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日生劇場 にっせいげきじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日生劇場
にっせいげきじょう

1959年日本生命創業 70年を記念して,日比谷ビルディング (東京,千代田区有楽町) の中に設けられた劇場。 63年 10月のベルリン・ドイツ・オペラと,翌 11月花田清輝作,千田是也プロデュース,演出による『ものみな歌でおわる』を開場記念に公演した。客席数はグランド・サークルと1,2階で 1358。 19.6× 15mの広い舞台で,回転傾斜のできるせり上がり,スライディング・ステージなど,新機構が取入れられた。初め,現代演劇を中心に,歌舞伎,オペラ,ミュージカルそのほか幅広い演目を,プロデューサー・システムで1ヵ月ロングラン上演の企画であったが,経営難のため 73年 11月に財団法人化され,劇団四季,松竹,東宝などに貸小屋興行するようになった。

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デジタル大辞泉プラスの解説

日生劇場

東京都千代田区にある劇場。1963年開館。座席数は約1300席。日本生命保険相互会社の創立70周年記念に建設。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日生劇場
にっせいげきじょう

劇場名。東京都千代田区有楽町にある。日本生命保険相互会社の創業70年記念事業として村野藤吾(とうご)設計による東京本社ビルが建てられ、その中に、企業イメージの向上を図って設けられた。客席は1、2階だが、中2階にグランド・サークルと称するバルコニー席を設けた洋風劇場で、定員1334名。1963年(昭和38)ベルリン・ドイツ・オペラ『フィデリオ』で開場、続いて千田是也(せんだこれや)、福田恆存(つねあり)、浅利慶太(あさりけいた)を専属プロデューサーに起用して本格的なプロデューサー・システムを導入し、初代水谷八重子・仲代(なかだい)達矢の顔合せによる花田清輝(きよてる)作・千田演出『ものみな歌でおわる』で演劇公演を開始、従来の商業演劇とも新劇とも異なる新しい演劇形態を目ざしたものの行き詰まり、65年から劇団四季と提携してジロドゥー作・浅利演出『オンディーヌ』などのヒットを生んだ。しかし70年に自主制作を中止、松竹・東宝・四季を相手とする貸し事業が主となって、四季と組んでの児童を対象とする1964年からの「ニッセイ名作劇場」公演のみを自主制作としている。これは当初都内の小学生のみを無料招待していたが、73年から大阪での公演が追加され、以後、全国の教育委員会などの協力で全国展開の催しになり、招待された児童数は2001年度(平成13)までに560万人を超えた。[大笹吉雄]
『大笹吉雄著『劇場が演じた劇』(1999・教育出版)』

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世界大百科事典内の日生劇場の言及

【劇場】より

…戦後にふたたび復興と再建の季節を迎えることとなった。再復興した劇場のほかに,54年には第1次俳優座劇場(客席401)が新劇専門の小劇場として,また文楽上演を考慮した道頓堀の朝日座(客席1000,1956),大阪の梅田コマ劇場(客席2044,1956),新宿コマ劇場(客席3000,1956),日生劇場(客席1340,1963),帝国劇場(客席1950,1966),国立劇場(客席,大劇場1746,小劇場630,1966),国立演芸場(客席300,1979),国立能楽堂(客席591,1983),国立文楽劇場(客席753,1984)などが新たに開場した。あわせて県民ホール,市・区民会館,公会堂などの多目的ホールが,全国的な規模でひろく設立されているところに,今日の特徴をみることができよう。…

※「日生劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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