日本歴史地名大系 「越部庄」の解説
越部庄
こしべのしよう
「和名抄」記載の揖保郡越部郷の郷名を継承する中世の庄園で、現新宮町南東部から龍野市北部に比定される。北は
越部庄預所職は親忠から俊成の妻となった美福門院加賀に譲渡され、加賀の没した建久四年中に俊成によって上保・中保・下保(上庄・中庄・下庄とも称される)に三分割され、加賀所生の八条院三条(五条上・万寿御前)・成家・定家に譲渡された。建久四年と推定される七月二六日の藤原俊成書状(静嘉堂文庫美術館蔵古文書大手鑑)と八月一三日の藤原俊成書状(京都国立博物館蔵)によると、分割譲渡にあたって田注文・畠并雑物等注文・絵図・処分状が作成されている。越部上庄は八条院三条から歌人として著名な孫の越部禅尼(俊成卿女)へ譲られ、「十六夜日記」に付された長歌部分の裏書によると、越部庄へ下向したことが記されており、現
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報