越部庄(読み)こしべのしよう

日本歴史地名大系 「越部庄」の解説

越部庄
こしべのしよう

和名抄」記載の揖保郡越部郷の郷名を継承する中世の庄園で、現新宮町南東部から龍野市北部に比定される。北は香山こうやま保と栗栖くるす庄、南は小宅おやけ(現龍野市)に接する。建久四年(一一九三)の藤原俊成処分状断簡と推定される文書(昭和六十一年古典籍下見展観大入札目録)に「播磨国越部庄、是地 鳥羽院御願尊勝仏頂堂白川二条領也」とあり、当庄は若狭入道藤原親忠が仏頂堂建立に際し私領を寄進して成立し、預所職を保障された親忠は年貢一一〇石を納入することになっていた。親忠の妻は鳥羽天皇皇后美福門院の乳母、娘の加賀も美福門院女房で、その縁を頼って寄進したものであろう。尊勝そんしよう(現京都市左京区)は堀河天皇の御願寺。「百錬抄」大治四年(一一二九)一二月一六日条に「太上皇供養尊勝寺内御堂甲斐守範隆造進之」とあり、仏頂堂はこの御堂に比定されるので、当庄は鳥羽院政開始の大治四年に成立した御願寺領庄園であった。のち京都長講堂領に編入されたと推測される(貞治四年一二月二一日「足利義詮御判御教書」大森氏所蔵文書)。なお建久二年三月二二日の後鳥羽天皇宣旨(三代制符)の第一〇条を受けて作成された同年五月一九日の西大寺領注文(西大寺文書)に顛倒庄々として「越部浦上二郷水田二町七段四歩」が記されており、尊勝寺領越部庄立庄以前に奈良西大寺領が存在したことが知られる。

越部庄預所職は親忠から俊成の妻となった美福門院加賀に譲渡され、加賀の没した建久四年中に俊成によって上保・中保・下保(上庄・中庄・下庄とも称される)に三分割され、加賀所生の八条院三条(五条上・万寿御前)成家・定家に譲渡された。建久四年と推定される七月二六日の藤原俊成書状(静嘉堂文庫美術館蔵古文書大手鑑)と八月一三日の藤原俊成書状(京都国立博物館蔵)によると、分割譲渡にあたって田注文・畠并雑物等注文・絵図・処分状が作成されている。越部上庄は八条院三条から歌人として著名な孫の越部禅尼(俊成卿女)へ譲られ、「十六夜日記」に付された長歌部分の裏書によると、越部庄へ下向したことが記されており、現市野保いちのほのてんかさん石仏は越部禅尼がこの地で没した後の鎌倉時代中期の造立と推定されている。その後の越部上庄の伝領は不明で、正和四年(一三一五)と推定される七月一二日付某書状(「雑々引付」内閣文庫大乗院文書)に「越部上庄間事、尊懐法印如此」とあるが、文意不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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