日本歴史地名大系 「足利学校跡」の解説
足利学校跡
あしかががつこうあと
足利氏館跡(鑁阿寺)の東南に隣接する学問所兼図書館跡で、国指定史跡。現在、跡地内に足利学校遺跡図書館がある。「鎌倉大草紙」によると承和六年(八三九)小野篁の創立、上杉憲実の再建、応仁元年(一四六七)長尾景人が足利庄「政所」の地から現在地に移したとされ、戦国期に鎌倉鶴岡八幡宮寺の快元が復興した。小野篁開創説は起源を古くする作為とされるが、足利義兼の創設とする説もある(分類年代記)。足利学校蔵の宋版「礼記」「尚書」「毛詩」「春秋」の四書に上杉憲実の署判があり、永享一一年(一四三九)閏正月に「五経註疏」を寄進していることから(「上杉憲実条目写」榊原家所蔵文書)、憲実はこの頃には武蔵
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報