出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…室町幕府4代将軍。1394‐1423年(応永1‐30)在職。義満の子。母は醍醐寺三宝院坊官安芸法眼の女藤原慶子。1394年12月17日元服して征夷大将軍となったが,その後も父義満が政務を執った。しかも義満の義嗣(義持の異母弟)偏愛が始まり,家督相続が危ぶまれたが,1408年(応永15)義満が死ぬと,管領斯波義将らの支持を得てその地位を保全した。翌年7月内大臣になり,10月には北山第から,新築成った三条坊門第に移った。…
…第2に持氏と叔父の満隆との間が不和であり,満隆が鎌倉公方への野心を持っていたこと。第3に足利義嗣が将軍への野望を抑えきれず,各地の反幕府分子と手を結んでいたことなどであり,鎌倉府成立後における幕府と鎌倉府の反目も微妙に影響していた。また惣領制の解体や国人一揆の形成など,東国の社会的変化も見逃すことのできない原因の一つといえよう。…
※「足利義嗣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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