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上杉氏憲 うえすぎうじのり

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

上杉氏憲
うえすぎうじのり

[生]?
[没]応永24(1417).1.10. 鎌倉
室町時代の武将。右衛門佐。犬懸上杉朝宗の子。入道して禅秀日山と号する。鎌倉公方足利満兼,持氏に仕えた。応永 18 (1411) 年執事となり,山内上杉憲基と権を争ったが,持氏が憲基を支持するに及んで同 22年執事を辞した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

うえすぎ‐うじのり〔うへすぎうぢのり〕【上杉氏憲】

上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

上杉氏憲 うえすぎ-うじのり

上杉禅秀(うえすぎ-ぜんしゅう)

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朝日日本歴史人物事典の解説

上杉氏憲

没年:応永24.1.10(1417.1.27)
生年:生年不詳
室町時代の武将。関東管領。右衛門佐。法名禅秀。犬懸上杉朝宗の子。応永16(1409)年に父が隠退すると,氏憲はようやく犬懸家の当主となり,上総(千葉県)守護を務め,同18年には関東管領となった。しかし22年には職を辞し,秘密裡に鎌倉公方足利持氏と関東管領山内上杉憲基を討つ準備を進めた。氏憲は持氏の叔父満隆を擁立する一方,室町幕府将軍足利義持の弟義嗣とも通じ,また女婿に当たる千葉兼胤,岩松満純,那須資之ら関東の有力な武家と謀ってクーデタを準備し,23年10月2日ついに鎌倉で蜂起,持氏と憲基を追い払い政権を掌握した。しかしまもなく幕府の命を受けた討伐軍と鎌倉で戦って敗れ,24年1月雪ノ下で自殺した。氏憲がクーデタを企図した理由は山内上杉氏との相剋を中心に説かれるが,詳細は不明である。しかし父朝宗以来培ってきた勢力と,婚姻などによって築き上げた関東の武家とのつながりを軸にして,一時的にせよ壮大なクーデタを成功させた事実は注目に値する。<参考文献>渡辺世祐『関東中心足利時代之研究』

(山田邦明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

うえすぎうじのり【上杉氏憲】

?‐1417(応永24)
室町中期の武将。上杉(犬懸)朝宗の子。官途は右衛門佐。出家して禅秀と称した。1404年(応永11)の伊達政宗の乱に際しては,鎌倉府軍を率いてその鎮圧に活躍した。その後,鎌倉公方(くぼう)足利持氏のもとで関東管領を務めたが,積年の山内上杉氏憲基との確執,および家臣小幡氏の所領没収をめぐる持氏との対立から,15年管領職を辞した。16年持氏の叔父満隆を奉じて持氏に反旗を翻し,千葉,岩松,那須らの武将をはじめ,中小武士層の反持氏勢力を結集して一時鎌倉を占拠した。

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大辞林 第三版の解説

うえすぎうじのり【上杉氏憲】

?~1417) 室町中期の武将。法号、禅秀。武蔵・上総かずさの守護。鎌倉公方くぼう足利持氏に仕え、関東管領となる。のち、持氏に反逆(上杉禅秀の乱)したが敗れ、自殺。

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世界大百科事典内の上杉氏憲の言及

【上杉禅秀の乱】より

…1416年(応永23)10月より翌年1月まで,上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方足利持氏に反して起こした室町時代前期の内乱。1416年10月前管領上杉氏憲は持氏の叔父満隆を奉じて持氏邸を夜襲した。…

【鎌倉公方】より

…室町幕府による東国支配のために鎌倉に置かれた政庁である鎌倉府の長官。関東公方(くぼう)ともいう。足利氏の東国支配は,1333年(元弘3)12月建武政権下で足利直義が〈関東十ヵ国〉(相模,武蔵,上野,下野,上総,下総,安房,常陸,伊豆,甲斐)の支配をゆだねられ後醍醐天皇の皇子成良親王を奉じて鎌倉に入ったことにはじまる(鎌倉将軍府)。足利尊氏は,36年(延元1∥建武3)11月京都に幕府を開いたが,その嫡子義詮を鎌倉にとどめ,これを〈鎌倉御所(鎌倉公方)〉とし,そのもとに関東管領を配置して東国の政治一般にあたらせた。…

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