足助八幡宮(読み)あすけはちまんぐう

日本歴史地名大系 「足助八幡宮」の解説

足助八幡宮
あすけはちまんぐう

[現在地名]足助町足助 宮ノ後

国道一五三号の道沿いにある。ともえ川が支流足助川を合わせて大きく湾曲するところの左岸に位置し、右岸飯盛いいもり山が笠形の山容で眺められる地点である。祭神は品陀和気命・帯中日子命・息長帯比売命・瀬織津比売命・菊理媛命・日本武尊。

南北朝時代成立と推定される足助八幡宮縁起によると、天智天皇の時、宝飯ほい郡大深山(現本宮山)に猿の形・鹿姿・鬼体をなす怪異者三体があった。猿形は石舟に乗って飛行し高橋たかはし庄猿投大明神となり猿投さなげ神社に座す、鹿姿はとどまって砥鹿大菩薩となり一之宮いちのみや(現宝飯郡一宮町)砥鹿とが神社に座す、鬼神は紀州牟呂むろ熊野くまの本宮より国回りする者といい、足助郷飯盛山に住して善証鬼と称し、土地の神の女自足城姫と夫婦となると記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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