日本大百科全書(ニッポニカ) 「蹄斎北馬」の意味・わかりやすい解説
蹄斎北馬
ていさいほくば
(1771―1844)
江戸末期の浮世絵師。葛飾北斎(かつしかほくさい)の門人で有坂(ありさか)氏、本姓を星野氏といい、俗称を五八郎、諱(いみな)は光隆(みつたか)という。御家人(ごけにん)の隠居であったといわれ、居所は浅草三筋町であったが、後年薙髪(ちはつ)して下谷(したや)二長町(にちょうまち)に住した。約180人に及ぶ北斎門人下で魚屋北渓(ととやほっけい)とともに双璧(そうへき)とされ、彩色に長じて左筆もよくし、文人画の谷文晁(たにぶんちょう)などとの逸話も残されている。作品は意外と錦絵(にしきえ)が少なく、摺物(すりもの)や版本の挿絵、肉筆画などを描いたが、とくに肉筆の美人画に佳作が多い。
[永田生慈]