蹄斎北馬(読み)ていさいほくば

日本大百科全書(ニッポニカ) 「蹄斎北馬」の意味・わかりやすい解説

蹄斎北馬
ていさいほくば
(1771―1844)

江戸末期の浮世絵師葛飾北斎(かつしかほくさい)の門人有坂(ありさか)氏、本姓星野氏といい、俗称を五八郎、諱(いみな)は光隆(みつたか)という。御家人(ごけにん)の隠居であったといわれ、居所は浅草三筋町であったが、後年薙髪(ちはつ)して下谷(したや)二長町(にちょうまち)に住した。約180人に及ぶ北斎門人下で魚屋北渓(ととやほっけい)とともに双璧(そうへき)とされ、彩色に長じて左筆もよくし、文人画の谷文晁(たにぶんちょう)などとの逸話も残されている。作品は意外と錦絵(にしきえ)が少なく、摺物(すりもの)や版本の挿絵肉筆画などを描いたが、とくに肉筆の美人画に佳作が多い。

[永田生慈]

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朝日日本歴史人物事典 「蹄斎北馬」の解説

蹄斎北馬

没年:弘化1.8.16(1844.9.27)
生年:明和8(1771)
江戸後期の浮世絵師。幕府御家人の出と伝える。本姓星野,ほかに有坂姓もある。諱は光隆,俗称は五郎八。画号はほかに駿々斎など。葛飾北斎の弟子で,文化(1804~18)から天保期(1830~44)にかけて,版本挿絵や狂歌摺物などを主に手がける。特に晩年は画工から本絵師となり,肉筆の美人風俗画を量産した。

(内藤正人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蹄斎北馬」の解説

蹄斎北馬 ていさい-ほくば

1771-1844 江戸時代後期の浮世絵師。
明和8年生まれ。江戸の人。葛飾北斎(かつしか-ほくさい)の門下。魚屋北渓(ととや-ほっけい)とならび称され,谷文晁(ぶんちょう)の手伝いをしたともいわれる。狂歌本の挿絵もかいた。天保(てんぽう)15年8月16日死去。74歳。姓は有坂。本姓は星野。名は光隆。通称は五郎八。

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