日本大百科全書(ニッポニカ) 「辺境変革論」の意味・わかりやすい解説
辺境変革論
へんきょうへんかくろん
歴史の発展についての理論で、わが国では増田四郎が初めて提唱した。それによれば、ある時代の政治、経済、文化の先進地帯(社会)が衰えて体制的矛盾を露呈するに至ったとき、同じ先進地帯が自らその矛盾を克服して新しい段階へ発展することはなく、先進地帯から一定の文化地理的距離にある辺境地帯に新たな体制へ移行する原動力が生じ、そこに新たな先進地帯が形成される。というのは、辺境地帯は先進文化の影響とインパクトを受けつつも、それに全面的に包摂されることなく一定の独自性を保ち、しかも先進文化の達成を主体的に摂取できることによって、変革の物的、精神的原動力を生み、古い文化にかわって新しい発展の担い手となりうるからである。世界史的にみると、オリエント世界の辺境ギリシアとローマが奴隷制生産を基礎に地中海文化世界を築き、また7、8世紀以降ゲルマン世界とりわけ地中海文化の辺境北ガリアに三圃(さんぽ)農法の村落共同体が初めて成立し、そこからキリスト教的中世世界が発展した。また資本主義についても中世世界の辺境イギリス、しかもその農村部にピューリタニズムのエートスに支えられた中産者層を担い手として誕生し、ついに資本主義世界へと発展した。これらの史実は世界史的スケールでの辺境変革論の正当性を示唆するが、各国別の、たとえば日本の歴史における先進文化地域の交替について、これがそのまま妥当するかどうかは、今後の実証的研究にまたなければならない。
[根本久雄]