増田四郎(読み)マスダ シロウ

20世紀日本人名事典 「増田四郎」の解説

増田 四郎
マスダ シロウ

昭和・平成期の歴史学者 一橋大学名誉教授。



生年
明治41(1908)年10月2日

没年
平成9(1997)年6月22日

出生地
奈良県月ケ瀬村

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和7年〕卒,東京商科大学大学院〔昭和9年〕修了

学位〔年〕
経済学博士

主な受賞名〔年〕
日経経済図書文化賞〔昭和34年〕「西洋封建社会成立期の研究」,勲二等旭日重光章〔昭和55年〕,文化功労者〔平成2年〕,文化勲章〔平成7年〕

経歴
東京商大専門部助教授、一橋大学経済学部助教授を経て、昭和25年教授、35年学部長、39年学長に就任。44年退官後、東京経済大学教授・理事長、日本学術振興会会長を歴任。西洋中世経済史の権威として知られ、「独逸中世史の研究」「西洋中世史世界の成立」「地域の思想」「西洋封建社会成立期の研究」「西洋市民意識の形成」「社会史への道」など著書も多い。また「大学でいかに学ぶか」は“学ぶこと”を模索する学生の間でロングセラーとなっている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「増田四郎」の意味・わかりやすい解説

増田四郎
ますだしろう
(1908―1997)

歴史学者。奈良県に生まれる。東京商科大学(一橋大学の前身)で日本経済史家幸田成友(しげとも)に師事、卒業後三浦新七、上原專祿(せんろく)の影響を受けて西洋経済史の研究に転ずる。1939年(昭和14)東京商大付属商学専門部教授となり、同予科教授、一橋大学教授を経て、64年(昭和39)から69年まで一橋大学学長。その間ヨーロッパに留学した。退官後は日本学術振興会会長の職にあった。一貫して東西両洋社会の構造的特色の比較という問題意識を抱き続け、実証的立場から、主として中世史の領域において多数の輝かしい業績をあげた。主著に『西洋中世世界の成立』(1950)、『西洋封建社会成立期の研究』(1959)、『西洋中世社会史研究』(1974)などがある。95年(平成7)文化勲章受章

[佐々木克巳]

『増田四郎著『大学でいかに学ぶか』(講談社現代新書)』『栗原福也・山田欣吾・米川伸一編『ヨーロッパ――経済・社会・文化 増田四郎先生古稀記念論集』(1979・創文社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「増田四郎」の意味・わかりやすい解説

増田四郎
ますだしろう

[生]1908.10.2. 奈良
[没]1997.6.22. 東京
歴史学者。 1932年東京商科大学 (現・一橋大学) 卒業。上原専禄の影響を受けて歴史学の研究を志す。同大専門部助教授,経済学部助教授を経て,50年教授,64年学長。 69年の退官後は東京経済大学教授,同理事長を歴任。ドイツ中世都市の構造と市民意識の研究を出発点とし,43年『独逸中世史の研究』を発表。第2次世界大戦後は民主化の流れのなかでヨーロッパ世界固有の社会・精神構造に関心をもち『ヨーロッパ社会の誕生』 (1949) ,『西洋中世世界の成立』 (50) などの著作をまとめたが,やがてヨーロッパの村落共同体の比較社会史的研究へと発展していった。上からの支配とそれに対抗した一般民衆の団体意識との相互関連性に視点をおくことで,日本の近代化に根本的な批判を加えようと試みた。多くの専門的著述のほか『東と西』 (64) ,『都市』 (52) ,『大学でいかに学ぶか』 (66) などの著書もある。 95年文化勲章を受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増田四郎」の解説

増田四郎 ますだ-しろう

1908-1997 昭和-平成時代の西洋経済史学者。
明治41年10月2日生まれ。昭和25年一橋大教授となり,39年学長。ドイツ中世都市研究から出発し,ヨーロッパの村落共同体の比較社会史的研究にすすむ。のち東京経済大理事長。平成7年文化勲章。平成9年6月22日死去。88歳。奈良県出身。東京商大(現一橋大)卒。著作に「西洋中世社会史研究」「ヨーロッパ中世の社会史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「増田四郎」の解説

増田 四郎 (ますだ しろう)

生年月日:1908年10月2日
昭和時代;平成時代の歴史学者。一橋大学教授;東京経済大学教授
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の増田四郎の言及

【西洋史学】より

…しかしその中にあって,箕作の自由主義的歴史観を受け継ぐ今井登志喜(1886‐1950)が,大正末期いらいの日本における社会問題の深刻化に触発されつつ,イギリス社会史,都市発達史など斬新なテーマと取り組み,社会経済史的な考察方法を導入したことは,先駆的な意義をもっている。また上原専禄のドイツ中世史研究は,原史料の綿密な操作という点で,これまた画期的なものであり,その学統は経済史の面では増田四郎(1908‐97),国制史の分野では堀米庸三(1913‐75)に継承されて,第2次大戦後の西欧中世史研究を基礎づけることとなった。 今井の門下からは,当時異端視されていたマルクス主義の歴史観に立つ新世代の研究者も輩出し,そこへ大塚久雄の理論的にすぐれた近代資本主義研究からの強い影響が加わって,日本の敗戦に続く戦後改革の時期には,かつての政治史にかわって社会経済史が学界の主流を形成した。…

※「増田四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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