一般には封建社会の基底をなした農村の社会形態を意味する。それ以外に、より広く農村共同体のさまざまな形態を意味し、前近代社会に特徴的な所有形態とそれを基礎とする社会形態をさして使われる場合もある。
[蓮見音彦]
人類の最初の社会形態である原始共同体では、種族団体を単位に共同の生産活動が行われ、個々の家族の独立した経済活動、私有財産は生じていなかったが、この私有財産の成立に先だつ種族団体としての原始共同体に対して、生産力が発展して土地の一部が私的所有に移行した段階以降の共同体が農村共同体である。農村共同体は、一般にマルクスの学説に基づいて、三つの形態に区別される。第一の形態はアジア的共同体であり、そこでは私有はなお萌芽(ほうが)的部分にとどまり、家屋とわずかの庭畑地のみが私有され、耕地はまだすべて共同体の所有とされている。第二の古典古代的共同体では、生産の主要な部分は、共有の下にある耕地で行われているが、それとともに開墾地などの私有が認められるようになっている。さらに第三のゲルマン的共同体では、家屋・庭畑地以外に主要な耕地までも私有されているが、牧草地・森林などはまだ共有とされ、これらの補完なしには生産が成り立たない状態にある。こうした農村共同体の、したがってまた私的経営の自立の程度を示す土地所有の形態に対応して、それぞれの社会の階級関係が展開する。すなわち、アジア的共同体では灌漑(かんがい)用水を契機に専制君主の下での総体的奴隷制が発展し、古典古代的共同体は、都市国家にみられるように奴隷を伴った貴族社会の基盤となる。そしてゲルマン的共同体は中世農奴制と結び付いたのであった。
このようにして共同体は前近代社会を構成する基底的な社会形態であるが、資本主義の形成を導く本源的蓄積の過程で、農業生産力の飛躍的な発展に基づいてさまざまな形での土地の囲い込みが進み、土地の全面的な私有が確立する。それと同時に自営小農民の分解が進み、農村共同体は解体を遂げることになる。
[蓮見音彦]
前近代社会では、低い生産力と自給経済の下で、共同体の成員が局地的小宇宙を形成して相互に緊密に協力しあい、その構成員の再生産を可能にしてきた。共同体においては対外的には封鎖性、対内的には平等性が強調され、仲間の間では一家族のような親しさをもって結び付きながら、集団外に対しては敵対的なまでの排他的態度がとられた。また、共同体においては、私有の土地などに基礎を置く個々の経営体の私的活動は、全体の再生産を目的とした共同の活動と矛盾しない範囲内でしか許されない。私的経営の発展に伴って、共同体との間に矛盾を生じる場合が増大するが、個々人の自由な主体性は、共同体的規制を通じて抑制されなければならなかった。
[蓮見音彦]
村落共同体ということばが、一般的には、農村共同体の諸形態のうち、ことに中世封建社会の基底をなしたゲルマン的共同体を意味するにもかかわらず、包括的に農村共同体を意味することもあるのは、一つには、日本を含めたアジア社会などの場合には、共同体の展開や封建社会の共同体のあり方などに、西欧の場合と異なる点があることに基づくものである。日本の近世の本百姓を中心とする村は、耕地の私有と山林原野などの共同体による所有としての入会(いりあい)地をもつという点で村落共同体とみることのできるものであるが、一面では灌漑用水を介して耕地も共同体の統制の下に置かれていた。それと同時に、日本の村落の特質を規定した要因としては、村が近世封建社会の農民統治の機構とされ、年貢の納入をはじめとして、村の連帯責任が求められて藩政村として位置づけられたことが重要である。
さらに、日本の場合には、明治以降の近代資本主義の形成過程において、ヨーロッパの場合のように顕著な農業革命がみられず、囲い込みを通じての農民層分解の進行がみられなかったことから、村落共同体が明確な形での解体を示さず、むしろ明治以降の国家体制の下で、行政村の末端としての区や村落として再編成された。しかも、地主制の発展に伴い、村は地主の農民支配の機構としても機能した。その結果、明治以降も農村には村落共同体と区別しがたい社会形態がみいだされた。第二次世界大戦後の農地改革によって地主制が解体され、村から農民支配の機構としての役割が失われ、その後の高度経済成長の過程での農村社会の激しい変動に揺るがされることによって、日本の村の村落共同体的な特質はようやく解消してゆくことになったものとみられている。
[蓮見音彦]
『K・マルクス著、手島正毅訳『資本主義的生産に先行する諸形態』(大月書店・国民文庫)』▽『福武直著『日本村落の社会構造』(1959・東京大学出版会)』▽『大塚久雄著『共同体の基礎理論』(1955・岩波書店)』▽『中村吉治著『日本の村落共同体』(1957・日本評論新社)』
〈村落〉および〈共同体〉の概念は,社会学,経済学,歴史学,農学などの分野で,それぞれ多様な含意をもって用いられるので,村落共同体を一義的に規定することはきわめて困難である。しかし,近代以前の社会をおおっている共同組織のうちで,おおよそ次のような特徴がある場合を,村落共同体と呼んでいるといってよい。
まず,生活の基本単位として,一組の夫婦を中心とした家族が確立しており,広範囲で強固な血縁関係は,もはや社会制度の原理となっていない。しかし,この家族がなお相互に独立して生活するだけの力量を備えておらず,農業生産活動,居住地の平和維持,祭祀行事など,生活万般にわたって,集落を場として地縁的な相互扶助組織を作り上げており,それは自己を維持するために,構成員である個別化した家族に対する一定の規制を行っている。相互扶助と相互規制を実行するため,この共同組織は集会や若干の役員など簡単な機関を備え,集会所(しばしば祭祀施設を兼ねる)や共同地などの財産を持つことになる。さらに多様な人間結合,たとえば,同職組織,宗教的な兄弟団,同年齢集団などによって補充されながら,在地における社会生活の主要な場となり,住民の唯一の代表機関として社会的に承認され,国制の末端機構としての役割を果たす。このような村落共同体は,氏族や種族のような純粋に血縁的な共同組織,個別家族の分出が弱くて集団への凝集力が著しく強い初期の地縁的な共同組織,さらには,都市共同体などと区別されるだけでなく,社会的分業の発達による構成員の商品生産者化を通じて解体する可能性をはらんだ,共同体の最後の形態と考えられている。
村落共同体を典型的に発達させたのはヨーロッパ中世であった。むしろ,村落共同体概念も主としてヨーロッパ中世の史実に基づいて構成されてきたと言ってよい。事実,村落共同体の起源を古ゲルマン社会に求めていた旧来の学説は,現在では徹底的に批判され,次のような筋道が明らかにされている。中世初期に所領内部での耕地の混在化や定住地の集村化などがすでに見られたが,中世盛期に農村開発が大きく進むに応じて,集村を舞台とする開放耕地制度が一般化し,村落共同体が確立した。それは,領主との交渉を通じて自治権を拡大し,農民層の地位向上に大きな役割を演じた。中世末期以降,農民層の分解が進むと,村落共同体は解体の道を歩み始めるが,農村ではすぐには近代的関係が貫徹しないため,その生命も地域によっては長く保たれていった。
→村
執筆者:森本 芳樹
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ムラの成員が何らかの社会的関係を取り結んで共同の生活を営み,その共同性が一代限りでなく何世代にもわたって再生産され受け継がれていくという捉え方をする場合,ムラのことを村落共同体と呼ぶことがある。ムラの成員をつなぐ絆となる社会的関係としては,土地の共有や割り替え,土地の利用に関する規制(耕作規制や売買に関する規制),共同労働,入会地などの共有地の利用,灌漑用水の管理,農民と職人の間の分業関係,同族団的な血縁関係,祭祀,成員の話し合いによるムラの意思決定(寄り合いやパンチャーヤット)などがある。村落共同体は平等な成員からなり,外部から遮断され自立した「小さな共和国」をなすと考えられたこともあったが,現在では,成員の間に著しい不平等がある場合があり,また地域社会に対して開かれた社会システムになっていることが多いことが認識されている。マルクスやヴェーバーの学説に依拠して,前近代社会を説明する基礎理論として共同体論が説かれたこともあった。
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…近代市民社会の成立を,私的個人が共同体関係の解体から現れてくる過程として歴史的に分析したのが,大塚久雄,高橋幸八郎らいわゆる大塚史学の人々である(《講座西洋経済史》1960)。ここで研究対象となっている共同体は,主として村落共同体,都市共同体およびギルドである。たとえば村落共同体においては,主要な生産手段である耕地は共同体成員たる個々の農民の所有であるが,その現実の利用は共同体の規制(耕作強制)の下にあり,また共同体全体の所有である共有地が各農家経営の不可欠の補完物となっている。…
…したがって経営面積が限られている農民にとっては,穀物刈取後の耕地を共同に使用することが有利である。このように,3年輪作制度は,共同体的な開放耕地制度と適合関係にあり,村落共同体の成熟とともに,村域全体の組織化と結びついて,厳密な意味での三圃制度となった。 しかし個々の農民に経営上の自由がまったくなかったわけではない。…
…この中で村落構造に関して,同族結合の東北型農村と講組結合の西南型農村の二つの類型をたて,前者から後者をへて自立した農家の構成する民主的農村社会を展望するという理論図式は大きな影響力があった。その後,農村社会学者の多くは村落社会研究会を組織して研究の発展を図ったが,改革後の農村の歴史的規定をめぐって,日本の村落がヨーロッパの資本主義以前の社会にみられた村落共同体と共通するものとしてとらえられるか否かをめぐり論議が重ねられた。農村の階層分化と集団構成についての研究が進められ,一定地域に居住している農家を包括的にさらい込み,多様な機能をもつ村落は封建遺制としての共同体的規制とみなされ,その解体によって,加入脱退が自由で階層的にそれぞれの利害に基づいて組織される機能集団が噴出して新しい農村が構成されると想定された。…
※「村落共同体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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