近代建築国際会議(読み)きんだいけんちくこくさいかいぎ(英語表記)Congrès Internationaux d'Architecture Moderne

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近代建築国際会議」の意味・わかりやすい解説

近代建築国際会議
きんだいけんちくこくさいかいぎ
Congrès Internationaux d'Architecture Moderne

近代建築家の国際的組織略称 CIAM近代建築および都市計画課題理念を追究し,その実現をはかることを目的とした。ジークフリート・ギーディオン書記長のもと,ワルター・グロピウスル・コルビュジエらが参画し,1928年スイスのラ・サラで第1回が開かれた。組織の追求する課題を反映して,第2回「生活最小限住宅」 (1929,フランクフルトアムマイン) ,第3回「配置の合理的方法」 (1930,ブリュッセル) と続き,第4回「機能的都市」 (1933,アテネ) を通じて提出された「アテネ憲章」は,都市計画の原則を定めたものとして知られる。第2次世界大戦後は 1947年の第6回から再開されたが,第 10回 (1956,ドゥブロブニク) において若い世代のグループチームX台頭により存在の是非が問われ,以後閉会となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近代建築国際会議」の意味・わかりやすい解説

近代建築国際会議
きんだいけんちくこくさいかいぎ

Congrès Internationaux d'Architecture Moderneフランス語)の訳語。CIAM(シアム)の略称で知られる。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の近代建築国際会議の言及

【近代建築】より

…バウハウスの主力メンバーはのちにアメリカに移住し,第2次大戦後アメリカの建築,デザインの形成に大きく寄与した。28年ル・コルビュジエはS.ギーディオンらとシアムCIAM(近代建築国際会議Congrès Internationaux d’Architecture Moderne)を結成し,第2次大戦後に至るまで,国際様式の推進の中心となった。国際様式は,建築を空間のボリュームの組合せとして構想し,古典主義的左右対称性に替わって繰返しの規則性によってリズム感を生み,装飾を排した仕上げによって建物をつくり上げるものであった。…

【ル・コルビュジエ】より

…都市に再び緑と太陽と大地を取りもどそうという主張は,これらの著述,建築にすでに明らかに示されている。27年,国際連盟本部ビルの競技設計に参加入賞しながら不当の扱いを受け,S.ギーディオンと語らい,28年スイスのラ・サラにW.グロピウスをはじめ各国の進歩的建築家の参加を求め,CIAM(シアム)(近代建築国際会議)を発足させる。以後CIAMは,第2次大戦後の第10回(1956)まで,毎回最も現代的な課題を掲げて,世界の建築家を集め提案,決議を行い,憲章(1933年の〈アテネ憲章〉が著名)を発表して大きな影響力をもったが,その中心にはつねにル・コルビュジエがいた。…

※「近代建築国際会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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