日本大百科全書(ニッポニカ) 「チームⅩ」の意味・わかりやすい解説
チームⅩ
ちーむてん
Team Ⅹ
建築家による国際会議とそのグループによる建築運動。第10回(Ⅹ(テン))CIAM(シアム)(近代建築国際会議)大会の準備委員であったピーター・スミッソン、アリソン・スミッソン夫妻らによってユーゴスラビアのドゥブロブニク(現、クロアチア)において1956年組織され、1966年まで開催された。
CIAMはル・コルビュジエ、グロピウス、ギーディオンらモダニズムの建築家、都市計画家、批評家によって30年にわたって開催された建築国際会議で、住宅から建築、都市までの広いジャンルで毎回特定のテーマをかかげて議論を行っていた。第10回大会の準備委員会は、用意したテーマ「モビリティ」「クラスター(房、群)」「成長と変化」「都市と建築」は、結局CIAMを解体しなければ議論できないと判断し、1954年にドールン(オランダ、ユトレヒト郊外)で会議をもった。スミッソン夫妻が宣言を起草し、委員会の名称(チームⅩ)を採用してCIAMを事実上解体させ、1956年ドゥブロブニクで新たな会議を組織した。
宣言の内容は、
(1)道路、交通システムの開発を都市の下部構造とすること。動線や行動の意義を建築自身に反映すること
(2)モビリティ、すなわち新しいコミュニケーション手段によって、密度、機能配置を配慮し直すこと
(3)捨てる技術の可能性を探ること。機能的建築技術と作業のスケールに適する美学の開発。純正な20世紀技術の住居イメージによる大量生産の文化的退廃の克服
(4)精神衛生と健全な生活の害にならない条件を追求すること
となっている。
これはCIAMのアテネ憲章(1933年アテネで開催された第4回会議において採択された都市計画の提案)にある四つの機能、すなわち「住む」「くつろぐ」「働く」「交通」が実際の都市に適応されるなかで矛盾を生じたことへの反省である。CIAMが提唱した低密度の都市構想は「形態、構成システム、アクセスなどのシステムが、今日の生活状況に対しては適切なものではない」(アリソン・スミッソン)、つまり文化的な時代遅れだとする。
「モビリティ」の思想はスミッソン夫妻のベルリン計画や集合住宅の歩行者と車の分離の方法(ペデストリアンデッキ)に、「クラスター」と「成長と変化」は、イギリスの建築家グループ、アーキグラムの「プラグ・イン・シティ」(道路や情報ネットワークのインフラストラクチャーに居住ユニットがプラグされる=埋め込まれる都市構想)や日本のメタボリズムの建築家の作品で実現されていくのである。
以後、チームⅩの会議は、オッテルロー(1959、オランダ、ヘルデルラント州)、バニョル・シュル・セズ(1960、フランス、アビニョン北西部)、ロンドン(1961)、ロワヨーモン(1962、パリ郊外)、パリ(1963、1967)、ベルリン(1965)、ウルビーノ(1966、イタリア)で開催された。
メンバーはスミッソン夫妻のほか、バケマJ. B. Bakema(1914―1981、オランダ)、アルド・ファン・アイクAldo van Eyck(1918―1999、オランダ)、ジョルジュ・キャンディリスGeorges Candilis(1913―1995、フランス)、シャッドラック・ウッズShadrach Woods(1923―1973、アメリカ)、ジョン・フェルカーJohn Voelcker(1927―1972、イギリス)、イェルジー・ゾルタンJerzy Soltan(1913―2005、ポーランド)、ラルフ・アースキンRalph Erskine(1914―2005、スウェーデン)、ホセ・アントニオ・コデルク・デ・センマナートJosé Antonio Coderch de Sentmenat(1913―1984、スペイン)、シュテファン・ベベルカStefan Wewerka(1928―2013、ドイツ)らからなった。
コアメンバーとは区別して招聘される建築家はファミリーメンバーとよばれ、リチャード・ロジャーズやルイス・カーンなどのほか、日本からは丹下健三、菊竹清訓(きくたけきよのり)、槇文彦(まきふみひこ)、黒川紀章(きしょう)らが会議に参加した。
チームⅩの活動を知る資料としては、当時の資料、論文、図版を集めた『チーム10の思想』Team 10 Primer(1964)がある。
[鈴木 明]
『アリソン・スミッソン編、寺田秀夫訳『チーム10の思想』(1970・彰国社)』▽『黒川紀章編『現代建築の創造――CIAM崩壊後』(1971・彰国社)』