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都市計画 としけいかく City planning

翻訳|City planning

7件 の用語解説(都市計画の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

都市計画
としけいかく
City planning

都市生活を健康で文化的におくることを主目的として都市を計画し建設すること。アーバンデザインともいう。理想都市の計画は,古代ギリシアローマに始るが,都市計画が現実的な問題として本格的に取組まれるようになったのは,19世紀以降のことである。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

とし‐けいかく〔‐ケイクワク〕【都市計画】

都市内の土地利用・交通・緑地・防災・公共施設の整備などについての計画。能率的で、住民の健康で文化的な生活を確保することを目的とする。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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百科事典マイペディアの解説

都市計画【としけいかく】

都市生活の健全な発展をめざして,各種施設の秩序ある整備を図る総合的計画。人口・産業等の発展を想定し,住宅・商工業地域,公共施設,公園・緑地等を適切に配置し,市街地を開発,上下水道や交通網を整備する等,都市の物質的な環境の整備・改善をおもな内容とする。
→関連項目内田祥三環境アセスメント建築基準法帯状都市地域地区制都市

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不動産用語辞典の解説

都市計画

適正な土地利用、都市施設の整備、市街地開発事業に関する計画で、都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため都市計画法の規定により定められたものを「都市計画」といいます。

出典|不動産売買サイト【住友不動産販売】
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世界大百科事典 第2版の解説

としけいかく【都市計画】

都市計画は都市というスケールの地域(都市圏)を対象とする物的計画physical planningである。都市の将来の目標を設定し,生産,居住,休息,交通など人々の経済的・社会的活動を安全に快適に効率よく遂行せしめるために,各構成機能が要求する空間を平面的・立体的に調整して,住宅地,商業地,工業地,農地山林など土地の利用と,道路,鉄道,公園,上下水道,建築物など施設の配置と規模を決定し,総合的な考え方にたって構成する計画をいう。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

としけいかく【都市計画】

都市の健全な発展と秩序ある整備を図るための、土地利用・施設整備・開発事業などに関する計画。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

都市計画
としけいかく
city planning

都市計画とは、本来的には、都市の持続的な維持・発展を図るために、都市の営みを空間的かつ計画的に制御・コントロールするための総合的な公的・社会的システムである。より具体的にいえば、都市計画は、(1)人間居住の主要な場である都市空間において(対象)、(2)調和ある都市の持続的な維持・発展を目ざして(目標)、(3)都市問題の解決、すなわち生産、交通、居住、福祉、医療、研究、教育、文化、余暇活動などにおける住民生活上の現在および将来の問題の発展的解決を図るために(目的)、(4)公権力としての都市自治体住民組織ボランティア団体、NPO(民間非営利組織)など住民セクターおよび企業など民間セクターと連携して(主体)、(5)学習・啓蒙(けいもう)活動や住民参加を基礎に法制、財政、金融など各種行財政制度を総合的に組み合わせながら(方法)、(6)自然・歴史環境の保全と活用、土地利用の規制と誘導、住宅・都市インフラ(インフラストラクチャー、社会的生産基盤)施設の建設と更新、市街地の整備と再生などを計画的に推進する(機能)、(7)都市空間の保全、整備、開発、再生に関する建設・社会技術であり、公的・社会的システムである。
 しかし都市が社会的・歴史的存在である以上、都市計画もまた社会的・歴史的存在である。都市計画の実態的な性格や内容は時代とともに変遷してきたし、今後もまた変化発展していくであろう。したがってここでは、都市計画を、産業革命を契機とする資本主義社会の成立を歴史的画期として、それ以前の都市計画を「前近代都市計画」、それ以降を「近代都市計画」としてまず区別し、さらに現在そこから新しい「現代都市計画」が胎動しつつあるという一つの社会的・歴史的過程としてとらえてみようと思う。[広原盛明]

前近代都市計画

前近代都市計画は、(1)王、貴族、領主、教会、修道院、ギルドなど各時代の都市および国家の支配階級による、(2)主として宗教、交易、軍事治安、政治、集会上の、(3)大規模施設の配置と建設に関する空間計画であり、土木建築的技術である。それは、支配階級の拠点としての都市の発生と無秩序な拡大を背景として生まれ、帝国支配の前衛基地である軍事的植民都市の建設を契機として発展した。たとえば古代ギリシアやローマでは、アテネやローマなどの自然成長的都市と、イオニアや小アジアの諸都市などの計画都市の2種類の都市が共存していた。
 古代アテネは紀元前5~前4世紀の最盛期には都市域220ヘクタール、人口10万~15万人、人口密度450~680人/ヘクタールという過密都市に成長するが、都市全体は自然成長的な無秩序に支配され、計画的意図はわずかパルテノン神殿を中心とする「アクロポリス」と市場や集会が開かれる自由市民広場「アゴラ」一帯の建築的調和に限定されていた。一方、奴隷はもとより自由市民でさえもその住居は貧しくて密集し、給水設備も便所もなく、狭くて折れ曲がった道路はところかまわずごみや汚物の捨て場と化していた。世界帝国の首都古代ローマは、その帝国支配の必要性から、属国からの莫大(ばくだい)な富と奴隷労働力によって軍事道路、橋梁(きょうりょう)、上下水道、公共浴場、公共便所など画期的な軍事土木施設や衛生施設の建設を進め、そのことが3世紀までに都市域2000ヘクタール、人口70万~100万人、人口密度350~500人/ヘクタールという想像に絶する超大都市の形成を可能ならしめた。しかし神殿、凱旋(がいせん)門、闘技場など巨大建築群による都心改造工事が歴代皇帝によって繰り返されたにもかかわらず、都市全体を計画的に制御することはまったく関心の外であった。貴族など富める者は郊外や田園の快適な別荘に移り住む一方、自由市民や奴隷は土地建物投機の犠牲となって6~8階にも達する市内の高層集合住宅スラムの中に押し込められていた。集合住宅に対する18~21メートルの高度制限や狭い道路での昼間車両通行禁止などの規制も行われたが、実効ある措置とはならなかった。
 一方、この時代の代表的な計画都市は地中海沿岸に点在するミレトス、プリエネや、オリントスなど古代ギリシアの軍事植民都市、およびイタリアを中心にヨーロッパ一円に建設され、フィレンツェ、ウィーン、トリノ、パリ、ロンドンなど後の中世都市や近代都市の礎石となった古代ローマの軍事要塞(ようさい)都市である。古代ギリシアの都市国家は、人口が直接民主主義の及ぶ一定規模を超えるときは、兵士を中心に約1万人の植民を派遣して新しい植民都市を建設し、領土拡大を図ることを原則とした。また古代ローマ帝国は、その広大な領土支配を維持・防衛するためにローマ軍団の兵営地を中核に約35ヘクタール、人口5万人の軍事要塞都市を防衛線に沿って多数計画的に配置した。
 周囲を堅固な城壁で囲われたこれらの軍事計画都市は、周辺領土や農地の分割の必要から発達した測量技術を基礎に、主要街路に従った規則正しい格子状街路網と街区構成をもち、神殿、市場、公共建築物などは主として主要街路が交差する中央部に、住宅は周辺部の街区の中に配置されるという整然とした幾何学的土地利用計画と建物配置計画を有していた。ミレトス出身の政治家であり都市計画家であるヒッポダモスの名にちなんで「ヒッポダモス式都市計画」といわれるのがこれである。このように前近代都市計画は支配階級の拠点施設計画であったがゆえに、多数の隷属民を抱えた母都市では部分的計画の域にとどまり、その存在自体が周辺領土や農地の支配拠点であった軍事植民都市にして初めて全体計画の段階にまで発展しえたのである。それゆえに支配階級の拠点としての前近代都市は住民多数の普遍的生活空間となりえず、支配階級の権力の崩壊は都市の直接的な縮小や崩壊へとつながりやすく、多くの都市がその後廃墟(はいきょ)への道を歩んでいったのである。[広原盛明]

近代都市計画

近代都市計画は、(1)資本家、官僚など国家および都市支配階級による、(2)無秩序な資本活動の結果発生する疫病、公害、災害、交通難、住宅難など各種都市問題の事後的・部分的改良および都市空間の資本的再編成、資本投資のための、(3)物的環境をコントロールする空間計画であり、土木建築的技術および社会経営的技術である。近代都市計画はイギリスの近代工業都市にその典型をみるように、18世紀後半以降の産業革命に伴う資本とプロレタリア人口の未曽有(みぞう)の都市集中と都市問題の爆発を背景に、19世紀後半からの国家・地方自治体による労働者住宅スラムに対する各種衛生法規や建築住宅規制として生まれた。20世紀初頭には都市の急膨張に伴って郊外スプロール(郊外地の無秩序な市街地拡大)に対する土地利用規制、ゾーニング(用途、機能ごとの区画設定)計画として発展し、第二次世界大戦以降は都市圏全体の開発をコントロールする都市基本計画、マスタープランとしてほぼその形式を整えるに至った。[広原盛明]
事後的・局部的改良の都市計画
前近代社会は基本的に農業社会であり、農村の余剰生産力に支えられ都市人口が総人口の10~20%の範囲を超えることはなかった。しかし機械制大工場制度に基づく資本主義経済の成立は、都市の工業生産力を飛躍的に増大させて大規模かつ急激な都市化を引き起こし、たとえばすでに1801年96万人の大人口を擁していたロンドンを1901年454万人へと100年間に実に5倍増して世界最大の都市へと成長させた。この間イギリスの都市人口は、1750年総人口の20%・100万人から1851年50%・900万人、1901年77%・2850万人へとわずか150年の間に30倍近くに激増し、都市は世界史上初めて人間の支配的な生活空間へと変貌(へんぼう)を遂げたのである。
 しかし自由放任経済の下でのこのような未曽有の都市化は、工場での過酷な労働条件に加えて、工場、住宅が混在し密集する労働者住宅街を中心に、想像を絶する劣悪で非衛生的な居住環境をつくりだした。そこでは工場からの煤煙(ばいえん)、ガス、悪臭が絶えず住宅街を襲い、工場排水と家庭汚水と屎尿(しにょう)がいっしょになって側溝や河川にあふれ、労働者家族のほとんどは日照、通風の得られない三方が壁の背割り長屋や地下室住宅の一室に閉じ込められていた。衛生状態は、1000人当りの乳児死亡率が19世紀を通して130~160人台と極端に高く、コレラ、チフスなどの疫病が繰り返し発生し、1875年当時の労働者階級の平均寿命は実にマンチェスター市17歳、リバプール市15歳であった。こうした労働力の急速な消耗と磨滅、伝染病への恐怖、そして労働者救貧費用の増大が、19世紀なかばから資本家階級をして「公衆衛生法」「職人・労働者階級住宅法」「ロンドン建築法」など一連の都市計画的立法に踏み切らせ、公害、疫病、不良住宅等の都市問題の事後的・局部的改良への第一歩がようやくにして始まったのである。[広原盛明]
「田園都市」構想
近代都市計画の第二歩は、都市の急激な膨張を背景として20世紀前半から始まった郊外土地利用に関する公共コントロールの導入である。産業革命は交通革命を伴った。蒸気機関車による鉄道網は19世紀なかばまでにイギリス全土にわたってすでに8000キロメートルに達して、人口の都市集中と無秩序な郊外化、スプロールを押し進め、第一次世界大戦以降は乗合バスの発達と自動車の普及がさらにいっそうの拍車をかけた。1898年、近代工業都市のアンチテーゼとしてイギリスの都市計画家、ハワードによって提案された「田園都市」構想は、郊外スプロールへの懸念と快適な田園生活環境を望む中産階級に熱狂的に迎えられ、二つの田園都市レッチワースとウェリン・ガーデン・シティ(ウェルウィン)がロンドン北方に建設された。この構想の計画・経営理念は、都市と農村の結合である。すなわち(1)都市が工業、商業、農業の各生産手段を所有して職住一体の都市として自立する、(2)土地の共有化によって都市の拡大と土地利用の混乱を防ぐ、(3)田園的環境の中での快適な衛星都市を個人の投資に基づく株式会社組織によって建設し経営する、というものであり、周辺2000ヘクタールの農地に囲まれた都市の規模と密度は中心市街地405ヘクタール、人口3万2000人、人口密度80人/ヘクタールという小規模・低密度のものであった。田園都市は近代都市計画の目ざすべき理念と方向をモデル的に提示した点できわめて大きな意義をもったが、母都市である大工業都市そのものの都市問題解決を対象としえなかった点で歴史的限界をもち、その後ロンドンのハムステッド田園郊外住宅地の開発や、アメリカの近隣住区理論に基づくニュー・ジャージー州ラドバーン計画などにみるように、主として新興中産階級の高級郊外住宅地の経営・計画技術として世界各国に普及していった。
 こうした事情を背景にして、イギリス最初の都市計画法「1909年住宅・都市計画等法」は郊外開発予定地のみを計画区域に限定していたし、「1932年都市・農村計画法」は計画区域を既成市街地の一部にも拡大したが、全体としては郊外の住居区域の設定などの土地利用規制とそれに伴う住宅・建築規制すなわち郊外ゾーニング計画であり、とりわけ中産階級のための質の高い環境アメニティ(快適さ)の確保に重点が置かれていた。したがってこの段階でのゾーニング計画は、都市の土地利用を全体的にコントロールしていく公共的手段としてよりも、その後のアメリカ都市に典型的にみるように、中産階級が田園環境アメニティを享受し土地資産価値を維持するために工場や移民・労働者階級の住宅地を排除する、私的な住宅地経営・計画手段、すなわち「排他的ゾーニング計画」として機能していたのである。[広原盛明]
基本計画としての都市計画
近代都市計画の第三歩は、1929年世界大恐慌を契機とする先進資本主義諸国の経済政策の計画化や、第二次世界大戦下の戦時・戦後経済の計画化などを時代背景として成立した都市のマスタープラン、都市基本計画制度である。資本主義経済が独占段階に発展し、政治・経済中枢としての大都市・大都市圏の重要性が飛躍的に増大するにつれて全国的な地域開発計画とともに、大都市圏地域全体の高度な空間整備が要求され、ここに初めて都市の業務・商業・工業・居住・レクリエーションなど土地利用の全体的・総合的調整、交通運輸・給排水・エネルギー・情報など都市機能を支える都市基幹施設の整備、そして都心部・拠点地区などの再開発事業などを長期的・系統的に進める総合的空間計画が成立する。これが都市のマスタープランあるいは都市基本計画といわれるものである。
 イギリスでは第二次世界大戦後成立した労働党政府の下で、近代都市計画の集大成ともいうべき「1947年都市・農村計画法」が制定された。この法律は、全国の主要地方自治体に計画立案権限を与え、統一した様式の開発計画と開発プログラムの策定を義務づけ、開発計画を基にすべての開発を公共的にコントロールするという徹底した計画主義にたっていた。そのうえ開発に伴う地価上昇などの開発利益はキャピタル・ゲイン課税として100%社会に還元するという開発権の国有化を打ち出し、世界の近代都市計画の戦後法制化の進展に多大の影響を与えたのである。[広原盛明]

日本の近代都市計画


第二次世界大戦前
日本の近代都市計画は1888年(明治21)公布の「東京市区改正条例」に始まる。明治政府によって上からの急速な資本主義化が図られた日本では、先進諸国に追い付くため、近代統一国家の首都でありかつ外交交渉の舞台となった東京を、内外に国家的威信を示す東洋第一の通商経済・政治中心都市として近代化する必要に迫られていた。「市区改正」はもともと農村の耕地整理「田区改正」に対応する都市の市街地改造を意味するが、日本の近代都市計画が「国家による、国家威信発揚のための、帝都改造事業」から始まったことは、その後の日本の都市計画を著しく中央集権的・官治的な性格に傾斜させることとなった。
 東京市区改正条例の第一の特徴は、市制施行が目前に迫っているにもかかわらず市区改正を都市自治体の事業とせず、国家機関である「東京市区改正委員会」が議定して内務大臣が承認し、東京府知事が執行と経費負担の責任を負うという国家事業としたことである。第二は、市区改正事業の主内容が、新鉄道の拠点東京駅を軸とする霞が関(かすみがせき)中央官庁街と丸の内オフィス街を生み出すための用途地域指定と官有地払下げ、および新都心周辺の幹線道路建設(総事業費の70%)とコレラの大流行を背景にした上水道の建設(同28%)など公共土木事業に集中したことである。第三は、この条例が十分な独自財源をもたず、財源難の理由から大阪、京都、名古屋といった六大都市にさえ条例適用が許されなかったことである。
 その後、日清(にっしん)・日露戦争、第一次世界大戦を経て日本資本主義が急速に発展し、人口1万人以上の都市人口が1887年490万人・総人口の12%から1917年(大正6)1854万人・総人口の32%へと30年間でほぼ4倍増するなど急激な都市化が進むなかで、都市化をコントロールするために東京市区改正条例をほぼ踏襲した「都市計画法」および「市街地建築物法」が1919年に制定される。両法において、(1)土地用途を住居・商業・工業などに区分し、その上に建築される建築物の種類・高度・床面積などを制限する「地域地区制度」を創設したこと、(2)主として土地所有者の負担で市街地整備を行う「土地区画整理制度」を採用したこと、(3)道路のない未開発地や狭い道路しかない市街地で最小9尺(2.7メートル)幅の道路用地を確保するため、当時は「公費を投ぜずして行う郊外の都市計画」といわれた「建築線指定制度」を導入し、この指定を受けなければ建築不許可としたこと、そして(4)適用自治体を当初の六大都市から全市・指定町村に拡大したこと、など近代都市計画のいちおうの体裁が整えられた。
 しかし1930年(昭和5)当時、用途地域が決定されていたのは都市計画法適用都市97のうち27都市にすぎず、かつ「工業地域」といえども危険度の高い工場と住宅の混在をそのまま認めるなど土地利用規制はないも同然であった。土地区画整理に関していえば、1930年までに都市計画事業として認可された51件、2172ヘクタールよりも、公共用地の提供が少なくて減歩率が低い耕地整理のほうが544地区、3万3137ヘクタールと格段に多かった。こうして耕地整理、区画整理、建築線指定などによって造成された郊外住宅地は、道路幅員が狭くて公園など公共公益施設がほとんどないという低水準のものであった。そして(1)都市計画の策定および都市計画事業の執行を国の事務としたこと、(2)都市計画の議決機関として地方議会を認めず国家機関としての都市計画委員会を中央、地方に設けたこと、(3)国庫補助金や土地増価税などの都市計画財源を大蔵省や大地主層を中心とする貴族院の反対にあって確保できず地方自治体の負担としたこと、(4)都市計画決定できる都市施設は広範にわたっていたが、中央省庁間のセクト争いによって実際に都市計画事業として整備されるものは道路、河川、運河などごく一部の公共土木事業に限定されていたこと、などその基本的性格はまったく変わらなかったのである。
 日本の都市計画が当初きわめて限定的な役割しか果たしえなかったなかで、不幸にもその活躍の場を与えたのが関東大震災と第二次世界大戦の戦災であった。1923年9月関東一円を襲った大地震は1府6県に10万4000人の死者と46万5000戸の住宅滅失をもたらし、東京市だけでも市街地面積の44%にあたる3390ヘクタールを焼失させるなど壊滅的被害を与えた。同年末に成立した特別都市計画法に基づく震災復興都市計画事業は、土地の1割無償減歩を基礎とする公共団体施行の強制的土地区画整理事業を導入して7年間に区画整理3600ヘクタール、道路延長76キロメートル、公園45ヘクタールという大事業を完成させ、東京、横浜の中心市街地改造の一大契機となった。しかし罹災(りさい)者住宅対策のために設立された財団法人同潤会による住宅供給は、仮設住宅を含めても滅失住宅の1.2%、5600戸余りにすぎなかった。また第二次世界大戦による戦災は全国215都市を罹災させ、全国住宅の5分の1にあたる265万戸と、国富の4分の1にあたる653億円(当時価格)を失わせて都市住民に壊滅的打撃を与えた。なかでも被害の大きかった115都市は、罹災区域6万3153ヘクタール、罹災人口970万人、罹災戸数232万戸、死者33万1000人という惨状であった。[広原盛明]
第二次世界大戦後
1946年(昭和21)制定の特別都市計画法に基づく戦災復興事業は、関東大震災時を上回る15%無償減歩の土地区画整理事業を導入して、焼失面積を超過する6万6157ヘクタールの大区画整理事業を計画し、その後の財源不足のなかでしだいに縮小されはしたが、102都市で1959年までに当初計画の44%にあたる2万9100ヘクタールの市街地を整備していちおう終了した。こうして全国ほぼすべての戦災都市が住民の戦争犠牲と無償土地提供のうえに区画整理を行い、中心市街地の多くが整備された。「土地区画整理は都市計画の母」といわれるようになったのは皮肉にもこのためである。
 その後、第二次世界大戦前の都市計画法が新都市計画法に移行したのは、すでに戦後20有余年を経過し高度経済成長政策が未曽有の都市化を引き起こしつつあった1968年に至ってであった。新都市計画法および建築基準法は、都市計画を「都市の健全な発展と秩序ある整備を図るための土地利用、都市施設の整備及び市街地開発事業に関する計画」と定義し、その内容を土地利用規制、都市施設整備、市街地開発事業に3区分した。
 土地利用規制は、(1)都市計画区域を「市街化区域」と「市街化調整区域」に二分して市街化規制する「線引き制度」、(2)市街化区域内で建築物の用途・形態・容積などを規制する住居系3、商業系2、工業系3の8用途地域と高度・防火・景観地区など特別目的23地区からなる「地域地区制度」、および(3)大都市地域で市街地整備や住宅地供給促進の特定区域を指定する「促進区域制度」からなる。都市施設整備は、道路、公園緑地、上下水道、河川、学校、病院、市場、住宅団地、官公庁施設、流通業務団地など公的性格が強くかつ市街地の骨格を形成する都市施設を「都市計画施設」として決定することにより、施設予定区域内での建築行為を規制し、土地取得の際に土地収用法の適用を可能とする。市街地開発事業は、市街地を面的かつ総合的に開発するための都市計画事業のことをいい、土地区画整理、工業団地造成、市街地再開発など6種類の「市街地開発制度」、これら事業予定区域の制限をあらかじめ行う「市街地開発事業予定区域制度」、および身近な生活環境整備を図るために各種地区施設や建築物の用途・形態、敷地の最小規模などを規制できる「地区計画制度」からなっている。
 都市計画法は、(1)都市計画の決定権を建設大臣(現、国土交通大臣)から都道府県知事および市町村へ委譲したこと、(2)都市計画の策定に関し公聴会、縦覧、意見書提出などの住民参加規定を設けたこと、(3)都市計画区域を「線引き」することによって「市街化させない区域」の制度化を初めて実現したこと、(4)開発水準を向上させるため「開発許可制度」を創設したこと、(5)用途地域をよりきめ細かくして「地域地区制度」を充実させたこと、など従来の土木施設的計画を総合的土地利用計画へ発展させた点で、画期的な制度改革と評価された。しかし都市計画が依然として、国土交通大臣が国家下部機関としての知事に対して都市計画決定の指示権・代行権をもつ、地方議会の議決を要しない国家機関委任事務であること、住民参加規定はあるが住民意見が都市計画決定に反映される保障規定がないことなど、基本的に東京市区改正条例以来の中央統制的性格は変わっていない。
 明治以来の懸案であった都市計画財源確保についても、国庫補助金に関する規定はあるがこれを具体化する政令がなく、従来どおり個別事業ごとに各省庁から縦割り補助金が出る割拠体制が続いている。だから補助金獲得に有利でない限り基幹都市施設といえども都市計画施設として決定されない例も多く、都市としての都市計画事業の総合性、すなわち事業相互間の予算配分や優先性などが担保されているとはいいがたい。また市街地開発事業もおのおのの根拠法に基づいて計画策定や国庫補助金の決定・執行などが行われており、都市計画法の下に統合されているわけではない。つまり各省庁のエージェンシー(代執行機関)としての自治体各部局によって個別都市計画事業が行われているのであって、地方自治の一環としての都市計画事業が行われているわけではないのである。
 土地利用規制については線引き制度や開発許可制度の創設によってスプロール規制が意図されたが、(1)市街化区域の線引きが「あるべき都市パターン」を目ざすよりも不動産業者や地主の意向に沿って現状のスプロールを追認する形で設定される場合が多いこと、(2)市街化区域で1000平方メートル未満のミニ開発は開発許可を必要としないこと(都道府県の規則で300平方メートル以上の開発まで開発許可制度を適用することは可)、(3)開発が原則として禁止されている市街化調整区域でも20ヘクタール以上の計画的宅地造成であれば「穴抜き開発」が可能であること、など数多くの問題点を有していた。つまり日本の都市計画は「建築不自由の原則」および「計画なければ開発なしの原則」に基づいて運用されてきたのではなく、「建築自由の原則」を基本的に堅持しながら「濫用の部分的規制」に関する社会的技術として運用されてきたのである。[広原盛明]
30年ぶりの大改正
その後、都市計画制度は、都心部の土地利用転換を図る「再開発地区制度」(1988)、市街地の居住機能確保と土地利用高度化を進める「住宅高度地区利用計画制度」(1990)、「市町村マスタープラン」(1992)、「高層住居誘導地区」(1997)の創設など幾多の改正を重ねてきたが、2000年(平成12)5月に1968年都市計画法制定以来の「30年振りの大改正」を標榜(ひょうぼう)して都市計画法と建築基準法の一部改正が行われ、2001年5月から施行された。主要な改正点および問題点は以下のとおりである。
 第一は、都市計画区域外に「準都市計画区域」が新しく指定され、都市計画区域に準じた規制が行われることになったことである。この都市計画法改正においては、その大前提として第二次世界大戦後の高度経済成長期以来の激しい都市化と都市拡張の時代が終息し、日本は「都市化社会」から「安定・成熟した都市型社会」へ移行したとの認識が繰り返し強調されていた。したがって、その論理的帰結としては広大な市街化調整区域(未都市化地域)を縮小・再編するのが筋であるが、改正法では逆に大型商業・レジャー施設が幹線道路沿いやインターチェンジの農村集落周辺で無秩序に立地しつつあるスプロール状況を肯定し、これを「都市の卵=準都市計画区域」とみなして農村地域へ都市地域を広げようとしている。しかも準都市計画区域内での3000平方メートル未満の開発行為は開発許可を要しないし、加えて都市計画区域および準都市計画区域の区域外でも1万平方メートル以上の開発行為には開発許可制度が適用される(開発してもよい)ことになっている。
 第二は、区域区分制度の選択化すなわち「線引き選択制」への転換である。もともと都市計画区域内を市街化優先区域と市街化抑制区域に区分する線引き制度は無秩序な市街化・スプロールを抑制するために導入された1968年都市計画法の最大の眼目であったはずだが、都市化が終息した段階では都市化圧力の強い地域を除いてその要否を都道府県の選択に委ね、「すべての都市計画制度の前提」から「都市計画の一つのメニュー」に変えるというのであった。その結果、都市計画区域内2039市町村(平成大合併前)は、(1)線引きが義務づけられる三大都市圏の特例市および政令指定都市を含む368市町村(都市計画区域内市町村の18.1%)、(2)線引きが選択制へ移行する474市町村(同23.2%)、(3)線引きが未実施で選択制へ移行する1197市町村(同58.7%)となり、都市計画区域内市町村の8割強が線引き選択制へ移行することになった。同時に線引きが存続する市町村の市街化調整区域においては地方条例により開発許可立地基準を緩和し、あらかじめ開発予定地的なところを定めて開発を認めていくという緩和措置も導入された。また開発許可に際して開発行為が適合すべき基準(いわゆる技術基準)も条例によって緩和することが可能となり、「良好な市街地の形成を図るためのナショナル・ミニマム」を担保する国の責任は放棄された。逆に地方自治体が、これまで乱開発を規制するために独自で運用してきた宅地開発指導要綱に対しては開発業者に過度の負担を強いるものとみなし、地方自治体が法律にない基準を追加したり(横出し規制)、法律の基準自体の上乗せ規制をすることが禁止された。
 第三は、既成市街地の高度利用を図るために「開発権移転」を伴う「特例容積率適用区域制度」が創設されたことである。かねてより既成市街地において指定容積率を限度いっぱいに利用できない状況に対してデベロッパー(開発業者)側から強い不満が出されていたが、この制度は、法定容積率を利用しきれていない敷地(「送り地」)の「未利用容積率」を商業地域など特定容積率適用区域内の他の敷地(「受け地」)の容積率に上乗せして利用することが可能になるというものである。もともと既成市街地の容積率は都市集中の継続を前提とした過大な容積率が指定され、土地利用の混在を容認する現行用途地域制度の下では商業ビルや高層マンションの建設に伴う近隣紛争が多発していた。したがって安定・成熟した都市型社会の下では「ダウンゾーニング」(容積率の引下げ)こそが求められる改正方向であったが、逆に未利用容積率の移転・売買を通してさらに既成市街地の高度利用を推進しようとする方向が強化された。
 第四は、市町村のマスタープラン=「市町村の都市計画に関する基本的な方針」をコントロールする「都道府県都市計画マスタープラン」が法定化されたことである。当初、都道府県マスタープランは農山村地域すべてを都市計画制度の枠組みに組み入れ、都市的土地利用と開発可能性を全国土に拡大していくために都道府県全域を覆うものとして構想されていた。だが農水省をはじめ都道府県の一部からも強い反対意見が出されたため「都市計画区域マスタープラン」に後退して「(方針)都市計画」となったが、市町村の基本方針や都市計画がそれに即して定められるべき「上位都市計画」であることに間違いない。したがって、これまで比較的自由に制定されてきた市町村マスタープランは、今後は都道府県マスタープランの制約の下に置かれることになり、市町村が定める都市計画は知事との「同意付き協議」が義務づけられることになった。
 第五は、都市計画決定手続きに関する改正、とりわけ住民参加権限の強化に関してはほとんどみるべき内容がないことである。国土交通省は都市計画法改正の解説において「都市計画は究極的には住民自治に基づくものであるとの考えの下、住民にもっとも近い市町村を都市計画決定の基本主体とするとともに、旧法の時代以来、国を都市計画決定の主体としていたシステム、つまり旧法においては国が直接決定するシステム、昭和43年法においては都道府県知事が国機関委任事務すなわち国の代行者として決定するシステムであったものを、都市計画決定を市町村または都道府県の自治事務すなわち地方公共団体の本来の事務であり、それぞれの地方公共団体が基本的には自己の判断および責任に基づき決定するというシステムに変換するという、大きな思想転換を行いました」と述べている。しかし公聴会における住民の意見や異議申し立てを都市計画決定に反映させる法的措置や権限が規定されていないこと、都市計画が地方自治体の自治事務であるとしながら地方議会が都市計画決定から排除され、都市計画審議会が決定機関とされていること、都道府県の都市計画決定に対して市町村が異議ある場合の相互同意規定や法的処理方法がないこと、自治事務としての都市計画行政を推進するための独自財源についてはまったく言及されていないことなど、国が基本的な都市計画決定権限を掌握して都道府県を後見し、都道府県が市町村をコントロールする体制は明治以来いっこうに変化していない。
 以上の問題点を通して2000年都市計画制度改正の本質を指摘するならば、20世紀末の都市化の全般的沈静化という状況に乗じて、農山村地域においては「日本型都市計画システム」(都市インフラの整備により都市的土地利用・開発可能性を広げる)の浸透により「開発の自由」「建築の自由」を全国土に拡大し、既成市街地においては資本活動にとってもっとも有利な土地利用を実現するための「選別的都市計画」が可能となるような体制づくりを目ざしたものといえるであろう。[広原盛明]

近代都市計画から現代都市計画へ

都市人口が農村人口を凌駕(りょうが)して都市が人間の支配的な生活空間であり永続的存在へと転化したときから、都市計画は前近代都市計画のように一部支配階級のための土木建築的技術であることを許されなくなった。近代都市において都市住民の多数者である労働者階級の居住地が初めて都市計画の対象となったのはこのためである。しかし近代都市計画が資本活動に基づく開発行為をコントロールして都市問題を解決しえたかというと、そうとはいえない。むしろ1980年代後半からは、都市計画を自由な資本活動への制約とみなして、「計画の自由化」や「規制緩和」を主張する「反都市計画主義」の新自由主義が猛威を振るっている。都市計画制度の2000年改正はまさにその象徴ともいうべきできごとであった。
 だが、日本型近代都市計画を生み出した20世紀の成長システムは、いまや完全に消滅した。経済成長はバブル経済の崩壊以来低迷の一途をたどっている。地球環境の制約は京都議定書の発効により一段と厳しいものになった。明治以来増加を続けてきた人口は21世紀初頭にピークに達し、日本は半世紀後に総人口が3割減少するという史上初めての構造的な人口減少時代に突入する。地方圏はもとより東京圏以外の大都市圏でも人口減少傾向がしだいに顕在化しており、地価の下落はとどまるところを知らない。つまり、経済成長と人口集中を背景にした右肩上がりの都市成長は歴史的終焉(しゅうえん)の時期を迎え、地価上昇に基づく開発利益メカニズムは完全に破綻(はたん)したのである。そして建築自由の原則に基づき開発利益を追求する日本型都市計画は遠からず自壊するであろう。
 加えて2011年(平成23)3月11日に発生した東日本大震災は、近代都市計画に根本的な変革を迫る歴史的契機となった。
 第一は、国土を都市部と農村部(農山漁村)に形式的に二分し、都市部の計画は国土交通省(旧建設省)が所管し、農村部の計画は農林水産省が所管するといった従来の縦割り的計画制度が事実上破綻したことである。東日本大震災においては、被災地域が超広域にわたるため都市部と農村部が連携・協働しなければ地域の復旧復興を実現できず、復興支援活動も復興計画策定も効果的に実施できないことが判明している。また地域の持続的発展すなわちサステイナブル・デベロップメントを図るためには、都市部と農村部の資源を総合的に活用することなくして地域の環境・経済・社会が維持できないことも明らかになった。すでに小泉構造改革に伴う平成大合併によって地方自治体とりわけ小規模町村のほとんどが吸収合併され、都市自治体と農村自治体の区別が実質的に消滅した。また、これまで大都市部に限定されていた政令指定都市要件が緩和され、広大な中山間地域を含む県域の何割かを占める超広域政令指定都市も出現している。一つの自治体の中に都市部と農村部が混在するのが普通になり、地域の持続的発展を図るためには、都市部と農村部を包含する都市・農村計画すなわち現代都市計画が求められるようになったのである。
 第二は、物的施設整備を中心とする近代都市計画すなわち「ハードな都市計画」「フィジカル・プランニング」の歴史的限界が明らかになったことである。近代都市計画は都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため、主としてテクノクラート(計画専門家、技術官僚)によるハードな土木建築的技術体系として制度化されてきた。しかし東日本大震災における巨大地震や巨大津波の襲来は、物的施設計画(ハコモノ計画)に依存する都市や市街地が災害に対して脆弱(ぜいじゃく)であり、大規模災害にはかならずしも十分に対応できないことを示した。住民の機敏な避難行動や情報伝達など災害時に対応する地域社会の事前の備えが人命を救い、被害の拡大を食い止めたのである。都市の持続的発展のためには、物的施設の整備のみならずそれを使いこなせるだけのノウハウとライフスタイル(生活文化)をもった住民の存在が不可欠であり、それを育てる住民主体の「ソフトなまちづくり」の必要性が明らかになった。住みよい安全な都市を維持するための現代都市計画にとって、その主体としての地域住民がどれほど地域に対して誇りと愛着をもち、どれだけ住むためのノウハウを身に付けているかという「まちづくり文化」の存在が鍵になったのである。
 第三は、拡大成長型の近代都市計画が名実ともに終焉し、持続発展型の現代都市計画の出番が回ってきたことである。人口の少子高齢化が進み、被災地の復旧復興の担い手となる若者層が手薄な東日本被災地では、地域の復旧復興は都市の量的拡大を通してではなく「都市の質」の確保によって実現することが求められている。持続発展型の現代都市計画とは、都市の規模拡大を目的とするのではなく、都市の調和ある成長やそこに実現すべき「都市の質」を重視する都市計画である。それは地域住民による高度経済成長以来の自然・歴史文化財保護運動や居住地改善・まちづくり運動の経験を通して地域社会に蓄積され、基本的人権としての「環境権」「居住権」「まちづくり権」などの理論構築を伴いながら、市民参加・住民参加を基礎とした現代都市計画制度としてもしだいに成熟してきている。このように現代都市計画は近代都市計画のなかから生まれ、その成果と遺産を受け継ぎつつ同時にその歴史的制約をも越えていこうとする地域住民の社会的運動であり、地域・自治体運動といえるであろう。21世紀は、本来的な都市計画が「現代都市計画」として初めて登場する歴史的画期なのである。[広原盛明]
『大塩洋一郎編著『日本の都市計画法』(1981・ぎょうせい) ▽ラトクリフ著、大久保昌一監訳『都市農村計画』(1981・清文社) ▽渡辺俊一著『比較都市計画序説』(1985・三省堂) ▽石田頼房著『日本近代都市計画の百年』(1986・自治体研究社) ▽原田純孝他編著『現代の都市法』(1993・東京大学出版会) ▽日本都市計画学会地方分権研究小委員会編『都市計画の地方分権』(1999・学芸出版社) ▽日笠端著『都市基本計画と地区の都市計画』(2000・共立出版) ▽簑原敬編著、小川富由他著『都市計画の挑戦――新しい公共性を求めて』(2000・学芸出版社) ▽原田純孝他編著『日本の都市法』(2001・東京大学出版会) ▽都市計画法制研究会編著『改正都市計画法の論点』(2001・大成出版社) ▽高見沢実編著『都市計画の理論――系譜と課題』(2006・学芸出版社) ▽広原盛明著『日本型コミュニティ政策――東京・横浜・武蔵野の経験』(2011・晃洋書房) ▽日本都市計画学会編『都市計画293号――日本都市計画学会60周年記念号』(2011・日本都市計画学会)』

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世界大百科事典内の都市計画の言及

【地域計画】より

…地域の開発,利用,保全などのための計画。対象とする地域の広狭により,国土計画,地方計画,広域都市計画,都市計画などの名称でよばれるが,これらのうち地方計画(地方ブロックないし県ぐらいの大きさの地域の計画)と同義に地域計画という言葉を用いることも多い。 地域計画は,地域社会の生産,環境などの基盤をなす公共・公益施設を整備し,合理的な土地利用を誘導し,またそのために必要な規制を図るなど,人間活動の物的面の環境条件の創出,改善をその中心的な課題とする。…

【町割】より

…また町割の結果できあがった形態をも〈町割〉と呼ぶ。実際には武家地内の屋敷の割りつけ,また宿場町,港町,在郷町などの形態についても〈町割〉を用いることがあり,近世城下町に限定せず,都市内に街路を通して街区および区画を定め,区画内の敷地割を行うこと,いわば〈都市計画〉の意味で広く用いることが多い。その都市計画の結果として成立した街路,街区,町区画などの都市の形態も〈町割〉と呼んでいる。…

【ローマ美術】より

…コンクリートはネロの時代から宮殿などにも使われるようになったが,技術的に完成の域に達するのはハドリアヌスの時代のころと考えられる。
[都市計画]
 パラティヌス丘の皇帝宮殿やカラカラ浴場のような大建築では,多くの建物が複合している。全体を構成するさまざまな部分が互いに建築的効果を補い合いながら,全体としての建築のおもしろさをもりあげるためには,周到な組織的計画が必要である。…

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