スミッソン(読み)すみっそん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スミッソン」の意味・わかりやすい解説

スミッソン(夫妻)
すみっそん

イギリス生まれの建築家。夫ピーターPeter Smithson(1923―2003)はストックトン・オン・ティーズに生まれ、ダーラム大学で建築と都市計画を学び1948年に卒業した。1948~1949年にはロンドンのロイヤル・アカデミー・スクールに学んだ。妻アリソンAlison Smithson(1928―1993)はシェフィールドに生まれ、ニューカッスル・アポン・タインの建築学校とダーラム大学に学んだ。2人はロンドン・カウンティ・カウンシルLCC:London County Council)建築部で働いた後、1949年に結婚した。1950年に共同の事務所を開設し、アリソンが没するまで協働を続けた。

 スミッソン夫妻は、1952年ころから、ロンドンの現代芸術研究所(ICA:Institute of Contemporary Arts)を拠点に、批評家ローレンス・アロウェイLawrence Alloway(1926―1990)、彫刻家エドゥアルド・パオロッツィ、画家リチャード・ハミルトンRichard Hamilton(1922―2011)、建築史家レイナー・バンハムReyner Banham(1922―1988)らとともに、「インディペンデント・グループ」を結成し活動した。当時、彼らの関心は、大衆文化やとくに芸術的とは考えられないような同時代的状況の諸相に集中しており、そこから、のちのポップ・アートの表現形式や態度の多くを確立するような作品が現れ、また、「ニュー・ブルータリズム」という言葉を生み出した。

 スミッソン夫妻が設計したハンスタントン中学校(1954、ノーフォーク)は、ニュー・ブルータリズムの最初期の、そしてその特性をもっとも典型的に示した作例であった。ニュー・ブルータリズムの建築は、素材を生かした荒々しい造形を特徴とし、単純な平面と直線の組み合わせを主体に、ガラス、れんが、鉄、コンクリートなどの素材を生地のまま用い、水道、電気の配管、配線もまた天井、壁面にむき出しで行うことが少なくない。平面、立面の構成から材料の選択、細部の組み立てに至るまで、知的に意味づけされ論理的に構成された。ニュー・ブルータリズムは、一つの様式というよりは建築に対する態度の表明であり、その精神的衝撃は瞬く間に世界中に広まった。

 一方、スミッソン夫妻は1950年代初めにジョルジュ・キャンディリスGeorges Candilis(1913―1995)、ヤーコブ・ベーレント・バケマJacob Berend Bakema(1914―1981)、ジャンカルロ・デ・カルロGiancarlo de Carlo(1919―2005)、アルド・ファン・アイクAldo van Eyck(1918―1999)らとともに、建築と都市の未来について考えるグループを結成した。このグループは、CIAM(シアム)(近代建築国際会議)の第10回会議(1956、ユーゴスラビアドゥブロブニク(現、クロアチア))の準備作業を担当し、チームⅩ(テン)と呼ばれた。そして、CIAMがかつて唱えた静的な都市観を乗り越え変化流動する社会に対応する空間を実現しようと意図し、「モビリティ」「アソシエーション」「成長パターン」などの概念を建築・都市論に導入した。

 スミッソン夫妻は、ハンスタントン中学校以降、しばらく実作に恵まれなかったが、エコノミスト・ビル(1964、ロンドン)は、彼らの初期の都市理論を反映した、銀行・オフィス・住戸の複合建築である。高さの異なる3棟が、広場を囲んで立つ構成は、周囲の街並みとの調和と共存を図り、柔軟でより洗練された都市景観の解決に努めた。エコノミスト・ビルでは、異質なものを荒々しく不連続に現存する都市に向かって投入するというニュー・ブルータリズムの態度は後退したが、建物群は「クラスター(房、群)」、つまり彼らがかつて提案した未来都市のもつイメージであり形態の記号であった。主な作品としてほかに、ロビンフッド・ガーデンズの集合住宅(1972、ロンドン)などがある。

 夫妻による著作としては『都市の構造』(1967)、『スミッソンの都市論』(1970)、『スミッソンの建築論』(1973)や、アリソン・スミッソン編『チーム10の思想』(1964)などがある。

[秋元 馨]

『アリソン・スミッソン編、寺田秀夫訳『チーム10の思想』(1970・彰国社)』『藤井博己訳『都市の構造』(1971・美術出版社)』『大江新訳『スミッソンの都市論』(1979・彰国社)』『岡野真訳『スミッソンの建築論』(1979・彰国社)』


スミッソン
すみっそん
Robert Smithson
(1938―1973)

アメリカの美術家。アースワーク(ランド・アート)を代表する一人。ニュー・ジャージー州に生まれる。少年のころから化石や鉱物、貝殻などを探して山や水辺を歩くのが好きだったという。1955~1956年、ニューヨークの美術学校アート・スチューデンツ・リーグに通う。初めは絵画を制作しており、1959年の初個展では絵画作品を発表した。1950年代の末から1960年代初頭のニューヨークといえば、フランク・ステラやドナルド・ジャッドといったミニマル・アートの作家たちがデビューし始めた時期であり、スミッソンもそのサークルに加わる。1960年代なかばから末にかけて単純な幾何形態にもとづく立体作品を発表。あきらかにミニマル・アートの影響下にある作品とはいえ、だんだん小さくなる相似形を繰り返し積み上げてゆくところには、鉱物や貝殻など自然界のものがもつ秩序に対するスミッソンの関心も見て取れる。

 その後1968年ごろから積極的に野外で制作するようになる。12枚の正方形の鏡を、藪(やぶ)の中、砂利の中に埋めるなどさまざまな状況に置き、それを写真に撮る『鏡への入射:ユカタンの旅』や、鉱山の崖の上からダンプいっぱいに積んだアスファルトを垂れ流す『アスファルトの落下』(ともに1969)など、「アースワーク」の作品の制作が始まる。これらは、ありのままの自然の美しさを作品にするというよりは、自然の中にもち込まれた鏡やアスファルトのような「異物」が、自然の抗(あらが)いがたい力によって飲み込まれてゆこうとするようすをとらえた作品ということができる。スミッソンは自然のそうした作用に強くひかれており、この作用を「エントロピーの増大」とよんで賛美した。

 スミッソンはまた制作と並行して、自作の解説だけでなく当時の芸術の状況に関する批評など、多数の文章を執筆してもいる。また1968年にニューヨークの画廊で、「アースワークス」と題した展覧会を企画をしたのはほかならぬスミッソンである。この展覧会タイトルはあるSF小説のタイトルからとられており、それは土さえもが貴重な商品としてやりとりされる、近未来社会の悲惨を描いたものだった。

 スミッソンのアースワークに対する考え方で重要なのは、「サイト」(場)と「ノン・サイト」(非―場)の対概念である。スミッソンは、屋外での作品を「サイト」の作品とする一方、砂や鏡で構成された美術館やギャラリーでの作品を「ノン・サイト」の作品とした。美術館やギャラリーは本来自分の芸術のあるべき「場」ではないというかのようだが、スミッソンの真意は、「サイト」と「ノン・サイト」という二つの「場」を衝突させ、結果としてそのどちらでもない、芸術のための第三の「場」(の概念)を構築することにあった。そうした考え方は、『ノン・サイト』と題されたいくつかの作品(1968ほか)が、ある場所からもってきた石などの素材とその場所の写真を、それぞれ床と壁に対比的に置いたものであることからもわかる。

 1970年には代表作『螺旋(らせん)形の突堤』が完成。ユタ州グレート・ソルト・レークの湖岸に岩石などでつくられた全長約450メートルにもおよぶ巨大な螺旋は、同時代のアースワークの記念碑的な作例ともなった。だが1973年、自作『アマリロ・ランプ』(1973、テキサス州)を空撮中に搭乗していた飛行機が墜落、あとには数多くの未完のプロジェクトが遺(のこ)された。

[林 卓行]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スミッソン」の意味・わかりやすい解説

スミッソン
Smithson, James

[生]1765. フランス,パリ
[没]1829.6.27. イタリア,ジェノバ
イギリスの科学者。ノーサンバーランド公ヒュー・スミッソン・パーシーの庶子で,母はヘンリー7世の血統をひく。莫大な財産を母方から継承した。オックスフォード大学で化学と鉱物学を学び,H.キャベンディッシュらによって 22歳でロイヤル・ソサエティ会員に推挙された。生涯独身でヨーロッパの科学界の指導者的存在として,多くの発明,発見をしたが,その1つの菱亜鉛鉱は彼の名をとりスミソナイトと命名された。遺言によりアメリカ政府に遺産が寄贈され,首都ワシントン D.C.にスミソニアン・インスティテューションが設立された (1846) 。

スミッソン
Smithson, Robert

[生]1938.1.2. ニュージャージー,パセーイク
[没]1973.7.20. テキサス,アマリロ
アメリカの美術家。アート・スチューデンツ・リーグで学ぶ。彼の作品は大きさが少しずつ異なる同形の立体を並べるもので,ミニマル・アートに属する仕事とされたが,1960年後半より石や砂を箱に詰める作品から発展して,グレートソルト湖の湖上に石と砂による渦巻を作るといったアースワークに転じた。新しいアースワークを空中から撮影中,墜落事故で死亡した。

スミッソン
Smythson, Robert

[生]1536頃
[没]1614. ノッティンガム
イギリスの建築家。16~17世紀に活躍した建築家一家の初代。エリザベス様式の代表者の一人で,作品としてはジョン・シン卿邸宅ロングリート(1568~80頃,共作),ウォラトン・ホール(1580~88)などがある。建築家ハンティントンならびにジョンは息子。

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