近江国分寺跡(読み)おうみこくぶんじあと

日本歴史地名大系 「近江国分寺跡」の解説

近江国分寺跡
おうみこくぶんじあと

[現在地名]大津市光が丘町

近江国分寺の造営経過は不明な点が多く残る。聖武天皇は天平一五年(七四三)頃から甲賀こうか信楽しがらきの地に紫香楽しがらき宮の造営を始め、総国分寺として甲賀寺を建立するが、同天皇が奈良に戻り紫香楽宮が廃止されるに伴い、新たに奈良東大寺が総国分寺として造営されることになったため、甲賀寺が近江国分寺になったとする説が有力となっている。のち国分寺は延暦四年(七八五)火災にあい焼失、再建されることなくその機能を瀬田せた川西岸にあった国昌こくしよう寺に移し、弘仁一一年(八二〇)に正式に国分寺になったという(「日本紀略」同年一一月二二日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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