近藤万太郎(読み)こんどうまんたろう

精選版 日本国語大辞典 「近藤万太郎」の意味・読み・例文・類語

こんどう‐まんたろう【近藤万太郎】

  1. 農学者。農学博士。岡山県出身。東京帝国大学農科大学卒。大原農業研究所初代所長。稲の種子貯蔵中における物理的変化に関する研究で知られる。帝国学士院会員。主著「日本農林種子学」。明治一六~昭和二一年(一八八三‐一九四六

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20世紀日本人名事典 「近藤万太郎」の解説

近藤 万太郎
コンドウ マンタロウ

大正・昭和期の農学者 大原農業研究所長。



生年
明治16(1883)年9月21日

没年
昭和21(1946)年11月7日

出生地
岡山県岡山市

別名
号=扇村,法名=昌光院叡覚諦潤大居士

学歴〔年〕
東京帝大農科大学〔明治41年〕卒,ベルリン大学

学位〔年〕
農学博士

主な受賞名〔年〕
日本農学賞

経歴
東京帝大学院で種子学の研究に従事。明治44年ヨーロッパに渡り、3年の間ベルリン大学などで学んだ。大正3年に帰国し、実業家大原孫三郎が設立した大原奨農会農業研究所(のち大原農業研究所)に招かれ、その初代所長に就任。以後、30余年に渡って在職し、着実に実績を積んで同研究所を世界的民間研究機関に成長させた。その間にも作物学・種子学の研究を進め、数多くの論文を執筆、特に穀物学の分野で大きな業績を残した。農学博士号・日本農学賞を受けたほか、昭和21年学士院会員。著書に「日本農林種子学」「米穀の貯蔵」などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「近藤万太郎」の意味・わかりやすい解説

近藤万太郎 (こんどうまんたろう)
生没年:1883-1946(明治16-昭和21)

穀物学者。岡山県生れ。1908年東京帝国大学農科大学卒業後,ベルリン農科大学,ホーヘンハイム農科大学に学ぶ。帰朝後岡山県倉敷に大原農業研究所の創設にあたりその初代所長となる。農作物種実の生化学の面に独特の研究分野を開いた。とくに穀物の貯蔵に関する研究は,今日の米麦貯蔵技術の科学的基礎となった。このほか作物の光周率,晩化栽培の経済,水の経済,薬剤除草など時代を先取りした研究が多い。同研究所の《農学研究》や学会誌に発表されたこれらの研究報文(和文および欧文)の数と量は日本の農学界随一と目される。大著《日本農林種子学》《穀物講義》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤万太郎」の解説

近藤万太郎 こんどう-まんたろう

1883-1946 大正-昭和時代の農学者。
明治16年9月21日生まれ。ベルリン農科大などに留学後,大正3年大原奨農会農業研究所(のち大原農業研究所)初代所長となる。種子学や作物学,とくに穀物の貯蔵の研究で知られる。昭和21年学士院会員。昭和21年11月7日死去。64歳。岡山県出身。東京帝大卒。号は扇村。著作に「日本農林種子学」「米穀の貯蔵」など。

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世界大百科事典(旧版)内の近藤万太郎の言及

【農学】より

…一方,国立農事試験場を中心に,明治中・末期より主として水稲を中心としての育種研究,育種事業が安藤広太郎,加藤茂苞などの手によって開始される。大正期には顕著な発展分野はなかったが,近藤万太郎による種子学研究は特記すべきものであろう。昭和初期における農業恐慌,水稲冷害(1931,34,35)は,日本の農学,とくに稲作などをめぐる実験的諸研究の発展の第1の契機となった。…

※「近藤万太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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