進経太(読み)シン ツネタ

20世紀日本人名事典 「進経太」の解説

進 経太
シン ツネタ

明治〜昭和期の技術者 石川島造船所取締役技師長。



生年
元治1年7月13日(1864年)

没年
昭和7(1932)年12月24日

出生地
長門国萩(山口県)

学歴〔年〕
工部大学校機械科〔明治18年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治34年〕

経歴
長州藩士・進十六長男に生まれる。欧米に3年間留学し造船学機械工学を学ぶ。明治21年帰国して石川島造船所に入り、間もなく取締役兼技師長に就任。34年顧問となり、44年まで造船業に関する技術及び経営に尽力した。同年独立して東京八重洲町に進事務所を設立し、顧問・技師・特許弁理士・代理業、その他一般工業関する事務を取り扱う傍ら、大日本電球取締役、横浜鉄工所取締役、大阪琺瑯社長を兼任公私の機械工業に関する設計・施設・監督・経営等に参与した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「進経太」の解説

進経太 しん-つねた

1864-1932 明治-昭和時代前期の技術者。
元治(げんじ)元年7月13日生まれ。進十六(そろく)の長男。欧米に留学し,造船学,機械工学をまなぶ。帰国後,石川島造船所にはいり,技師長をつとめる。のち東京八重洲町に特許などをあつかう進事務所をひらく。昭和7年12月24日死去。69歳。長門(ながと)(山口県)出身。工部大学校(現東大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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