道明寺村(読み)どうみようじむら

日本歴史地名大系 「道明寺村」の解説

道明寺村
どうみようじむら

[現在地名]藤井寺市道明寺一―六丁目・国府こう三丁目

現藤井寺市の南東端、石川の左岸に位置し、東高野街道が南北に通る。村の南西方誉田御廟山こんだごびようやま古墳(応神天皇陵に治定。現羽曳野市)、西方には仲津山なかつやま古墳(応神天皇皇后仲津姫命陵に治定)、さらに北方には市野山いちのやま古墳(允恭天皇陵に治定)があり、石川を背にして巨大古墳に囲まれる。市野山古墳のある国府は河内国府の所在地で、当地と国府の境を東高野街道と交差して長尾街道が通る。志紀郡に属し、土師はにし(和名抄)の地域。古墳築造をはじめとする喪礼にかかわる職掌をもつ土師氏集住の地で、氏寺の土師はじ(現道明寺)氏神の天穂日命神社(現道明寺天満宮に合祀)がある。村落名はこの道明寺にちなむ。なお「河内志」村里の項は道明寺に「旧名土師、又ノ名ハ秋篠」と記す。土師氏は和泉(百舌鳥古墳群近傍)、大和(佐紀盾列古墳群近傍の秋篠・菅原)にも居住しており、のち大枝(大江)・秋篠・菅原を名乗るが、またの名を秋篠というのは、大和秋篠あきしの(現奈良市)居住の土師氏(秋篠氏)との関係を推測させる。地名としての道明寺は年未詳(康正元年か)七月一日の畠山義就書状写(早稲田大学蔵荻野研究室収集文書)に「遊佐河内守於道明寺河原致合戦」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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