日本歴史地名大系 「道明寺天満宮」の解説
道明寺天満宮
どうみようじてんまんぐう
道明寺の東側にある。明治初年の神仏分離までは道明寺も当境内にあり、両者一体であった。現祭神は菅原道真、天穂日命・覚寿尼を配祀。旧郷社。
道明寺と道明寺天満宮は古代、当地(志紀郡土師郷)に集住した土師氏の氏寺(土師寺)・氏神(土師神社)の関係に発するといわれるが、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
道明寺の東側にある。明治初年の神仏分離までは道明寺も当境内にあり、両者一体であった。現祭神は菅原道真、天穂日命・覚寿尼を配祀。旧郷社。
道明寺と道明寺天満宮は古代、当地(志紀郡土師郷)に集住した土師氏の氏寺(土師寺)・氏神(土師神社)の関係に発するといわれるが、
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大阪府藤井寺市道明寺一丁目に鎮座。菅原道真(すがわらのみちざね)、天穂日命(あめのほひのみこと)、菅原覚寿(かくじゅ)ほか四神を祀(まつ)る。社伝によると、垂仁(すいにん)天皇32年、皇后薨去(こうきょ)に際して、野見宿禰(のみのすくね)が埴輪(はにわ)をつくって殉死にかえた功により、土師(はじ)姓を賜りこの地に住み、のち子孫がその地に土師寺を建て、道明寺と称するに至った。土師氏はまた菅原姓を賜り、道真の伯母覚寿尼はこの寺にいたが、901年(延喜1)道真左遷のとき、道真は伯母に別離を告げに立ち寄り、自身の木像を渡した。道真没後その木像を神体として奉斎したのが本社の起源という。1872年(明治5)神仏分離して土師神社と称したが、1952年(昭和27)現在名に改称。旧郷社。例祭2月25日。当宮には道真の遺愛の品とされるものが蔵され、平安貴族の生活をしのばせる銀装革帯(かくたい)(石帯)、玳瑁装牙櫛(たいまいそうげくし)、牙笏(げしゃく)、犀角柄刀子(さいかくつかとうす)、伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)、青白磁円硯(せいはくじえんけん)などはいずれも国宝である。
[鎌田純一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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