道明寺天満宮(読み)どうみようじてんまんぐう

日本歴史地名大系 「道明寺天満宮」の解説

道明寺天満宮
どうみようじてんまんぐう

[現在地名]藤井寺市道明寺一丁目

道明寺の東側にある。明治初年の神仏分離までは道明寺も当境内にあり、両者一体であった。現祭神は菅原道真、天穂日命・覚寿尼を配祀。旧郷社。

道明寺と道明寺天満宮は古代、当地(志紀郡土師郷)に集住した土師氏の氏寺(土師寺)・氏神(土師神社)の関係に発するといわれるが、土師はじ神社については詳しいことはわからない。一説では天安二年(八五八)三月二二日、従五位下を授けられた河内天夷鳥神(文徳実録)土師神社のこととするが不詳。土師氏の氏祖天穂日命を祀る社が古くよりあったと思われるが、近世にも道明寺境内に天満宮のほかに天穂日命社があるので(国花万葉記・河内名所図会ほか)、天満宮は氏神とは別に祀られるようになったと考えられる。大和菅原すがはら(現奈良市)に集住する土師氏出身の菅原道真が中央貴族として活躍していた頃、道明寺の住持は道真の姨覚寿尼であったと伝え、その関係から道真は度度道明寺を訪れたという(「道明尼律寺記」社蔵)。道真の死後、京都北野天満宮に代表されるように、各地に道真を祀る社が建立されていくが、当天満宮もその一つで道明寺の伽藍開基記(同蔵)に「有天神祠、此神(中略)天暦元年、始垂跡於京兆北野、某時設祠於当寺、蓋天神之姨娘、居于此地、因以建之」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「道明寺天満宮」の意味・わかりやすい解説

道明寺天満宮
どうみょうじてんまんぐう

大阪府藤井寺市道明寺一丁目に鎮座。菅原道真(すがわらのみちざね)、天穂日命(あめのほひのみこと)、菅原覚寿(かくじゅ)ほか四神を祀(まつ)る。社伝によると、垂仁(すいにん)天皇32年、皇后薨去(こうきょ)に際して、野見宿禰(のみのすくね)が埴輪(はにわ)をつくって殉死にかえた功により、土師(はじ)姓を賜りこの地に住み、のち子孫がその地に土師寺を建て、道明寺と称するに至った。土師氏はまた菅原姓を賜り、道真の伯母覚寿尼はこの寺にいたが、901年(延喜1)道真左遷のとき、道真は伯母に別離を告げに立ち寄り、自身の木像を渡した。道真没後その木像を神体として奉斎したのが本社の起源という。1872年(明治5)神仏分離して土師神社と称したが、1952年(昭和27)現在名に改称。旧郷社。例祭2月25日。当宮には道真の遺愛の品とされるものが蔵され、平安貴族の生活をしのばせる銀装革帯(かくたい)(石帯)、玳瑁装牙櫛(たいまいそうげくし)、牙笏(げしゃく)、犀角柄刀子(さいかくつかとうす)、伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)、青白磁円硯(せいはくじえんけん)などはいずれも国宝である。

[鎌田純一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「道明寺天満宮」の意味・わかりやすい解説

道明寺天満宮
どうみょうじてんまんぐう

大阪府藤井寺市にある元郷社。祭神は菅原道真。アメノホヒノミコト,覚寿尼を配祀。 1952年に土師神社から改称。もとはこの地に土師氏が祖神のアメノホヒノミコトを祀っており,氏寺の土師寺が隣接していた。菅原氏が土師氏の一族で,天暦1 (947) 年ここに道真と伯母の覚寿尼を配祀したとされ,天神信仰の盛行とともに道真の祭神としての地位が変化したと考えられる。以来,神社は天満宮,寺は道真の別名をとって道明寺と呼ばれ一体であったが,神仏分離によって道明寺が西の隣接地に移り,土師神社と改称された。社宝に,道真の没後に遺品として納められたとされる9世紀の唐,日本の工芸品が多数あり,一括して国宝。これらは当時の貴族の好みを示す資料として貴重である。

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