朝日日本歴史人物事典 「達摩屋五一」の解説
達摩屋五一
生年:文化14.10.12(1817.11.20)
幕末期の江戸の古書肆。名は覚,字は吾心。無物,法斎などと号す。岩本氏。書屋を美織家,待賈堂と号した。父は尾張,紀伊両家御用米の御蔵預かり,母は旗本稲村氏。12歳から日本橋の西村宗七を振り出しに書肆へ奉公に出,数軒を経る。この間,群書を渉猟し,傍ら初代花迺屋光枝に入門,花迺屋蛙麿を名乗って狂詩,狂文に遊んだ。22歳のとき,自讃の一書を残して主家を退き,居候の身となって草子類の戯作などで稿料を得たが,のち再び書肆を志し,芝の切通に露店を出した。嘉永3(1850)年に四日市に開いた店は珍書屋の名で知られ,蒐書の質の高さから好事家の集う所となった。同6年には蒐集して所持していた島津久光公の建白書の内容が瓦版になったことから手鎖50日の刑を受けた。安政4(1857)年,娘婿2世達摩屋活東子と共に,蒐集した珍書を編集し,「燕石十種」と名付けた。以後6輯まで編まれたこの叢書は,風俗に関する貴重な文献として現在も広く知られている。<参考文献>岩本米太郎編「瓦の響しのふくさ」(長沢規矩也編『本屋のはなし』)
(安永美恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報