出版形式の一つ。一度世に出た単行の書物を集め,一定の書式に整え,総名を冠し,ひとまとめの書物として再出版したものをいう。単行書(単行本)に対応する概念。中国では,蔵書家や書舗の出版が通例だが,個人や家族の全集に相当するものもある。文人つまり読書人が社会の支配者となった中国では,他の社会にもまして書物は大切にされ,朝廷や蔵書家への書物の集中が常に志向された。しかし集中されたがために逆にこれらは動乱によって一挙に分散・消滅する運命にもあった。宋代以降木版印刷術が普及すると,集積された書物を再び世に役立つ形で送り出すことに意義を認め,またそれを名誉と考える気運が生じ,叢書という形態が誕生した。出版の動機は多様であり,善本を刊行した宋の左圭の《百川学海》,清の黄丕烈(こうひれつ)の《士礼居叢書》,原本と寸分違わぬ形で出版した《古逸叢書》《四部叢刊》,いったん消滅した書物を集めた《玉函山房輯佚書》,ある地方に関係あるものを収めた《遼海叢書》などが現れた。清の乾隆帝が編纂させた《四庫全書》は写本として7部が作られただけで出版はされなかったが,その動機は以上のすべてを含むものであって,結果として中国最大の叢書となった。
ところで叢書の起源は,南宋の兪鼎孫,兪経が1202年(嘉泰2)に《石林燕語弁》等7種を合わせて《儒学警悟》40巻を刊行したのにおくのが通例である。もっとも〈叢書〉という言葉が書名に使われたのはもう少し古く,唐の陸亀蒙の《竺沢叢書》に始まるが,この書物は彼の詩文集で,厳密な意味での全集ではないから,普通はこれを叢書とは認めていない。叢書が先の定義の枠内にある書物と意識されて書名に使われ,一個の新しい概念を与えられるようになるのは明の程栄の《漢魏叢書》以降である。一方,図書分類の一範疇として叢書が意識されるのは,同じく明の祁承(きしようはく)の《澹生堂書目》からである。しかしこの範疇には,正しい意味での叢書だけでなく,類書や雑家雑説の書をも収めるのであって伝統的な図書分類法である四部分類法に従って子部に分類配当されている。四部の外に叢書が配されるのは清初の張之洞の《書目答問》であるが,この分類でも,先の定義に従う叢書のほかに類書や雑纂の書をも含めている。これは明代の叢書が多分に趣味的な書物を雑纂する傾向にあったこととかかわる。《四庫全書総目》以降の清朝の目録が叢書を子部の雑家の属に分類するのも理由のないことではない。
ところが,このころから学術的に価値ある書物を系統的に収め,ときには校勘も加えた叢書が作られるようになる。《武英殿聚珍版叢書》《学津討原》等がそれで,この風潮に影響されて編纂されたのが,日本の《昌平叢書》である。このように叢書の性格が変わってくると,その分類が見直されるのも当然である。学問を四部分類の下に包括する体系が揺らぎ始める民国時代になって,叢書が四部分類の外に1部を設けて分類されるようになるのはそのためであるが,民国時代には叢書は5000~6000種,広く通行するものだけでも1000種を数えるにいたっているので,量的な増加も分類法の変化に影響を与えた。
執筆者:勝村 哲也 中国では,叢書を四部に分かち,1人の著述を集めたものを〈家叢〉,特定の分類にしたがって集めたものを〈専叢〉,古書の佚文を集めたものを〈古逸〉,自家の蔵書,珍書を集めたものを〈雑叢〉といった。これらは,現代の出版では〈全集〉〈集成〉などにあたるものといえよう。しかし,今日〈叢書〉あるいは〈双書〉というときは,装幀など一定の形式にしたがって継続的に刊行される出版物,とくに古典や教養書のシリーズを指すのが普通である。廉価なことも特色の一つである。この種の出版の先鞭をつけたのはイギリスで,19世紀後半に大衆の間に読書熱が高まったとき,1冊1シリングから6ペンス程度の叢書が多数出現した。〈ワールド・クラシックス〉は1901年にグラント・リチャーズGrant Richards社から創刊され,05年にオックスフォード大学出版部に継承された。またデント社は〈エブリマンズ・ライブラリー〉を06年に創刊した。これらをさらに廉価にしたのが〈ペンギン・ブックス〉で,35年に創刊された。これに近い性格をもつのが日本の文庫である。アメリカでは1917年創刊の〈モダン・ライブラリー〉が有名である。
日本でも近世から〈専叢〉に通ずる叢書が多く出版されているが,その代表的なものは塙(はなわ)保己一の《群書類従》であろう。明治に入ってからは〈国書刊行会叢書〉(1905-22)が中世から近世にいたる文学,随筆,資料など全285巻および1帖に集大成した。同様に古典の集成としては〈尊経閣叢刊〉(1902-50),〈日本史籍協会叢書〉(1915-35)のほか,〈貴重図書影印本刊行会叢書〉(1930),〈稀書複製会刊叢書〉(1918-40),近年では〈天理図書館善本叢書〉(1971-)などがある。また一般教養書としては,出版社名やペットネームを冠した〈叢書〉〈ブックス〉〈シリーズ〉の類が多数刊行されている。
→文庫
執筆者:紀田 順一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ある分野またはある主題に関連する一群の著作を、計画的に集めて出版するもので、「○○シリーズ」ともいわれる。外国語ではseries(英語)、série(フランス語)、Reihe, Gesammeltung(ドイツ語)、またはlibrary(英語)、bibliothèque(フランス語)、Bibliothek(ドイツ語)などという。最近は叢書形式のものをも全集と称することがあるが、個人の著作集である「全集」とは区別しなければならない。研究、読書の便宜を図るための選集であり、広く古典を集めた文庫本、新著述を集めた新書判、ペーパーバックスpaperbacksなどは、終期を定めず継続的に発行される。
中国では叢書は南宋(なんそう)ごろ(12世紀)に始まり、18世紀の清(しん)代には古典の逸書や稀覯(きこう)書を採訪して叢書が行われた。最大の叢書は乾隆(けんりゅう)帝の『四庫全書』1万200余部3万4000巻で、複本を写して南北八閣に置いた(1733~82)。日本では塙保己一(はなわほきいち)の『群書類従』が1600余部2000余巻として、1779年(安永8)から1822年(文政5)に出版された。明治・大正までは学術的叢書が主であったが、1927年(昭和2)1月改造社の『現代日本文学全集』、新潮社の『世界文学全集』のいわゆる円本の発行により、叢書も大量販売時代に入って、現在のペーパーバックス競争時代になった。
[彌吉光長]
出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…明の程栄が編纂し38種を収める。叢書というのは,一度世に出た単行の書を集め総名を冠して再出版したもので,書舗による営利出版の性格が強い。本書が好評を博したので,明の何允中による76種本《広漢魏叢書》,清の王謨の94種本《増訂漢魏叢書》など約8種類の漢魏叢書が続々と出版されたが,テキストとしての価値は程栄のものに劣る。…
※「叢書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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