( ②について ) ( 1 )名の由来は、瓦に文字を彫って印刷したから、または、それを思わせるほどに粗末な木版印刷だったからなどの説があるが、確証はない。
( 2 )「かわらばん」という呼称は幕末になって文献に現われる。それ以前は、「えぞうし(絵草紙)」、「よみうり(読売)」などと呼ばれていた。同種のもので現存する古いものは、慶長二〇年(一六一五)大坂夏の陣の際に発行された「大坂安部之合戦之図」と「大坂卯年図」であるといわれる。
江戸時代に行われた不定期刊行の印刷ニュース媒体。多くの場合,絵画を中心として説明文を書き添えたもので,形態は大小さまざまな木版一枚刷りのものと,半紙二つ折りを数枚綴じたものとがある。事件発生の都度,街頭で読売りされたので〈読売り〉または〈辻売りの絵草紙〉などと呼ばれていた。瓦版という名称は幕末ころの文献に初めて見られ,いわゆる〈読売り〉の粗末なものに対する蔑称(べつしよう)として用いられていた。今日のように瓦版が〈読売り〉の代名詞となったのは明治の末年からのことである。瓦版の印刷は,木版のほかヨーロッパ伝来の銅版エッチングによるものが幕末の京都で作られていた。また,もっとも簡易な方法として粘土を焼き固めて原版とすることもあったらしく,〈土版木(つちはんぎ)〉とか〈石版(いしばん)〉といわれたのもこれであろう。瓦版もこの種の印刷法からの名称であるといわれている。
瓦版のはじまりとしては1615年(元和1)の大坂夏の陣の結末を報じた《安部之合戦之図》と《大坂卯年図》が有名であり,ともに現存するが,これを当時のものとする直接の証拠はない。この種の出版に言及した最初の同時代文献は,73年(延宝1)の出版規制令であって,〈噂事,人の善悪〉に関する出版が対象の一つとなっている。84年(貞享1)の町触(まちぶれ)では,より明確に〈当座のかわりたる事〉等の出版が禁止され,辻や橋のたもとでの販売行為が処罰されることになった。このころの瓦版は90年(元禄3)刊行の《人倫訓蒙図彙》にいう〈小歌につくり浄瑠璃に節づけ〉した韻文調のものが主流であった。買手はこれを歌って楽しんだというから,ニュース媒体というよりは娯楽的色彩の強いものであったと思われる。主題としては,八百屋お七の刑死や心中事件のような好色物が好まれていたようである。そのほか,吉凶の予言,神仏の奇瑞霊顕,因果応報などの話柄が取り扱われていた。これらは散文調のものが多かったらしいが,明確ではない。また,改元の瓦版などの実利的なものも人気があった。享保改革のもとで瓦版,とくに好色物が厳重に規制され,その出版は一時逼塞(ひつそく)状況に陥るが,他方,忠孝慈善等の趣旨に沿う瓦版は積極的に奨励されるようになった。田沼時代以降の瓦版は,庶民のリテラシー(読み書き能力)の向上,都市文化の発達を背景として質量ともに充実していく。火災など災害報道の瓦版は文献上もこの時代が初見である。1772年(安永1)江戸行人坂大火を報じた瓦版などは数種のものが現存するほどで,かなり大量に出回ったものと推定される。
瓦版は街頭での読売りのほか,露店や絵草紙店での店頭売りがあり,価格は紙幅の大小に応じてさまざまであったが,最低単位価格は幕末の短期間を除けば江戸時代を通じて変わらず,初期のもので3文,明和(1764-72)の四文銭流通の後は4文であった。明治の新聞雑誌流行期にも瓦版は需要があったらしく,その終末は明治20年代である。
なお,ヨーロッパでは,15世紀後半から瓦版類似のニュース媒体が発達していた。ドイツのノイエ・ツァイトゥングNeue Zeitung(フルークブラット),イギリスのニューズ・シートNews-sheetなどがそれで,祭礼や定期市の場で読売りされ,18世紀ころまで存続していた。
執筆者:平井 隆太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸時代に、ニュース速報のため、木版一枚摺(ずり)(ときには2、3枚の冊子)にして発行された出版物。瓦版という名称は幕末に使われ始め、それ以前は、読売(よみうり)、絵草紙(えぞうし)、一枚摺などとよばれた。土版に文章と絵を彫り、焼いて原版とした例もあったという説もあるが不明確である。最古の瓦版は大坂夏の陣を報じたもの(1615)といわれるが明確ではない。天和(てんな)年間(1681~1684)に、江戸の大火、八百屋(やおや)お七事件の読売が大流行したと文献にみえ、貞享(じょうきょう)・元禄(げんろく)年間(1684~1704)には上方(かみがた)で心中事件の絵草紙が続出したと伝えられる。これが瓦版流行の始まりである。
江戸幕府は、情報流通の活発化を警戒してこれらを禁圧し、心中や放火事件などの瓦版は出せなくなった。江戸時代中期には、1772年(明和9)の江戸大火、1783年(天明3)の浅間山大噴火など災害瓦版が多く現れ、打毀(うちこわし)を報じたものもあったが、寛政(かんせい)の改革(1787~1793)以後、取締りがいっそう厳しくなった。しかし、文政(ぶんせい)年間(1818~1830)以後になると、大火、地震、仇討(あだうち)などの瓦版が、禁令に抗して幾種類も売られ、また、米相場一覧、祭礼行列図、琉球(りゅうきゅう)使節行列図なども刊行された。安政(あんせい)の地震(1855)の瓦版は300種以上も出回り、その後、明治維新に至る政治的事件の報道、社会風刺の瓦版が続出した。瓦版の値段は、半紙一枚摺で3~6文、冊子型は16~30文ほどであった。作者、発行者は絵草紙屋、板木屋、香具師(やし)などであろう。安政の地震の際には、仮名垣魯文(かながきろぶん)、笠亭仙果(りゅうていせんか)などの作者や錦絵(にしきえ)板元が製作販売にあたってもいる。
明治に入って瓦版は近代新聞にとってかわられるが、その先駆的役割を果たしたといえよう。
[今田洋三]
『小野秀雄著『かわら版物語』(1960・雄山閣出版)』▽『今田洋三著『江戸の災害情報』(西山松之助編『江戸町人の研究 第5巻』所収・1978・吉川弘文館)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
江戸時代,市井のニュースを庶民に伝えた,木版または土版木(つちはんぎ)(瓦をつくる粘土を焼いて作成)によるとされる1~2枚の絵入りの印刷物。街頭で読み売りされ,古くは読売と通称された。大坂夏の陣(1615)を報道した「大坂安部之合戦之図」が最古のもので,以後,心中事件・火災・地震・敵討・珍談奇聞などの一枚摺が売り出された。明治期になって活版印刷の新聞が刊行されると姿を消した。
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【日本】
17世紀初めから19世紀後半まで,日本では社会的事件が起きたときに,文字または文字と絵でそのニュースを伝える1枚刷のビラが大都市で売られた。これを〈読売〉あるいは〈瓦版〉と総称する。〈瓦版〉とは,粘土版に文字や絵を彫り,それを焼いて刷版としたからだが,木版刷のものも多い。…
…多く街頭で呼び売りされた。日本の瓦版とある程度類似した機能をもち,定期的に発行される新聞の先駆形態の一つである。フランス(カナールcanardと称される),スペインなどヨーロッパ各国で出されたが,ドイツの印刷業者の手になるものが最も多い。…
※「瓦版」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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