室町時代,日本から中国の明の皇帝に派遣した使節。明の太祖洪武(こうぶ)帝は,大宰府の地を押さえた南朝の懐良(かねよし)親王に使節を送り,入貢を求めた。懐良親王は当初通交を拒絶したが,1371年(応安4・建徳2)以降使者を派遣。足利義満も使者を送っている。一時通交は断絶したが,1401年(応永8)明との通交関係を開くため,義満は同朋衆(どうぼうしゅう)の祖阿(そあ),博多商人の肥富(こいつみ)を派遣し,日本国王に封じられた。以後1547年(天文16)まで,19回遣明船を派遣。1404年以降の17回は勘合(かんごう)を所持し,日本国王の表文・別幅(べっぷく)を持参する正使(第1号船に乗船)には五山僧が選ばれた。これは,使節に外交交渉が可能な高い教養と,貿易を行う事務的能力が要求されたためである。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新