日本大百科全書(ニッポニカ) 「郡内藩」の意味・わかりやすい解説
郡内藩
ぐんないはん
江戸中期まで甲斐(かい)国(山梨県)都留(つる)郡(郡内領)を領有した譜代(ふだい)小藩。谷村(やむら)藩とも称する。1601年(慶長6)鳥居成次(とりいなりつぐ)が関ヶ原の戦いの功によって、郡内に1万8000石を与えられ谷村城主となったのが初め。次代成信(なりのぶ)(忠房(ただふさ))のとき除封となり、33年(寛永10)上野(こうずけ)国(群馬県)惣社(そうじゃ)から秋元泰朝(やすとも)が入封し、富朝(とみとも)、喬知(たかとも)と3代にわたり在封。この間、殖産政策として行った新田開発や郡内絹の振興策は、とくに元禄(げんろく)期(1688~1704)以降の郡内織発展の端緒となったが、寛文(かんぶん)検地(1669)による打ち出しと収奪の強化により1681年(天和1)百姓一揆(いっき)(越訴(おっそ))を引き起こしている。喬知はその後加増され、若年寄から老中に昇進したが、1704年(宝永1)武蔵(むさし)国(埼玉県)川越(かわごえ)に移封されて廃藩となった。
[飯田文弥]