日本歴史地名大系 「都宇竹原庄」の解説
都宇竹原庄
つうたけはらのしよう
安芸国
寛治四年(一〇九〇)七月一三日の太政官符(賀茂社古代庄園御厨)に「賀茂御祖社被奉不輸田七百四十五町為御供田、近日依有夢想、被供御膳也」として記される荘園一九ヵ所の一つに「安芸国竹原庄 四十町」がある。平安時代末期には都宇郷も下鴨社領都宇庄となり、竹原庄を本庄、都宇庄を新庄と称した。「芸藩通志」に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
安芸国
寛治四年(一〇九〇)七月一三日の太政官符(賀茂社古代庄園御厨)に「賀茂御祖社被奉不輸田七百四十五町為御供田、近日依有夢想、被供御膳也」として記される荘園一九ヵ所の一つに「安芸国竹原庄 四十町」がある。平安時代末期には都宇郷も下鴨社領都宇庄となり、竹原庄を本庄、都宇庄を新庄と称した。「芸藩通志」に
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