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鄭経 ていけいZheng Jing; Chêng Ching

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鄭経
ていけい
Zheng Jing; Chêng Ching

[生]崇禎15(1642)
[没]康煕20(1681)
中国の明朝復興の中心人物鄭成功の長子。朱経,錦ともいう。父の遺志を継いで明の復興に尽力した。字は賢之,元之。号は式天。順治 18 (1661) 年に父が台湾を占拠したとき,金門アモイの防衛にあたっていたが,父の死後は延平王,招討大将軍を襲名して南明勢力の最後の一人である桂王の没後も永暦の年号を使用した。しかし鄭氏の内紛でしだいに勢力が弱まり,清軍に金門,アモイを占拠され康煕3 (1664) 年台湾に渡り,台湾の防衛と経営に努め,イギリスと結んで貿易を開いた。同 12 (1673) 年に三藩の乱が起こり,靖南王耿 (こう) 精忠が救援を求めると,大陸反攻の好機とみてアモイを奪回し,福建沿海を攻略した。しかし乱の鎮圧後は再び台湾に引き揚げ,遷界令で孤立化した状況のなかで病死した。

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世界大百科事典内の鄭経の言及

【南明】より

…1658年(順治15)には南京を攻撃するなど海上から清軍を苦しめたが,このあと鄭成功はオランダ人の拠る台湾を攻略(1661),これを根拠地としたが,翌年彼も,彼を頼っていた魯王も相次いで没した。しかし彼の子の鄭経らはその後も永暦の年号を用いて抗戦をつづけ,三藩の乱の際にはこれに呼応して本土攻撃に転じたこともあったが,以後勢力ふるわず83年鄭氏は清朝に下った。 南明の抗清運動は各地の政権がそれぞれ正統を主張して対立し合い,統一勢力を生み出せず,内部には諸臣の間に不和と党争がたえず,新興の清軍の前に敗れ去った。…

※「鄭経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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