ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鄭経」の意味・わかりやすい解説
鄭経
ていけい
Zheng Jing; Chêng Ching
[没]康煕20(1681)
中国の明朝復興の中心人物鄭成功の長子。朱経,鄭錦ともいう。父の遺志を継いで明の復興に尽力した。字は賢之,元之。号は式天。順治 18 (1661) 年に父が台湾を占拠したとき,金門,アモイの防衛にあたっていたが,父の死後は延平王,招討大将軍を襲名して南明勢力の最後の一人である桂王の没後も永暦の年号を使用した。しかし鄭氏の内紛でしだいに勢力が弱まり,清軍に金門,アモイを占拠され康煕3 (1664) 年台湾に渡り,台湾の防衛と経営に努め,イギリスと結んで貿易を開いた。同 12 (1673) 年に三藩の乱が起こり,靖南王耿 (こう) 精忠が救援を求めると,大陸反攻の好機とみてアモイを奪回し,福建沿海を攻略した。しかし乱の鎮圧後は再び台湾に引き揚げ,遷界令で孤立化した状況のなかで病死した。
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