酒井忠毗(読み)さかいただます

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「酒井忠毗」の意味・わかりやすい解説

酒井忠毗
さかいただます

[生]文化13(1816).6.20. 江戸
[没]明治1(1868).2.12. 東京
江戸時代後期,第7代越前敦賀藩主。天保4 (1833) 年襲封,同 14年若年寄となり,老中安藤信正とともに外交上の難局にあたった。文久2 (62) 年6月罷免されたが翌年4月老中小笠原長行のもとで復職,同年7月再び罷免されたが,元治1 (64) 年7月復職。薩摩藩イギリス接近を警戒し,また横浜でアメリカ,フランス,イギリス,オランダ各国公使と応接して下関事件取極書 (→四国艦隊下関砲撃事件 ) を締結した。のち老中水野忠精とともにフランス公使 L.ロッシュと製鉄所建設の議をまとめた。慶応3 (67) 年6月致仕,跡を子忠経が継いだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井忠毗」の解説

酒井忠毗 さかい-ただます

1816-1876 江戸時代後期の大名
文化13年6月20日生まれ。酒井忠藎(ただえ)の子。天保(てんぽう)4年越前(えちぜん)(福井県)敦賀(つるが)藩主酒井家7代となる。若年寄を3度つとめ,城持ち大名に準じた家格をあたえられた。明治9年2月12日死去。61歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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