ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「酒井忠毗」の意味・わかりやすい解説
酒井忠毗
さかいただます
[没]明治1(1868).2.12. 東京
江戸時代後期,第7代越前敦賀藩主。天保4 (1833) 年襲封,同 14年若年寄となり,老中安藤信正とともに外交上の難局にあたった。文久2 (62) 年6月罷免されたが翌年4月老中小笠原長行のもとで復職,同年7月再び罷免されたが,元治1 (64) 年7月復職。薩摩藩のイギリス接近を警戒し,また横浜でアメリカ,フランス,イギリス,オランダ各国公使と応接して下関事件取極書 (→四国艦隊下関砲撃事件 ) を締結した。のち老中水野忠精とともにフランス公使 L.ロッシュと製鉄所建設の議をまとめた。慶応3 (67) 年6月致仕,跡を子忠経が継いだ。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報