野口しか(読み)ノグチ シカ

20世紀日本人名事典 「野口しか」の解説

野口 しか
ノグチ シカ

江戸時代末期〜大正期の助産婦 医学者・野口英世の母。



生年
嘉永6年9月(1853年)

没年
大正7(1918)年11月10日

出生地
陸奥国耶麻郡(福島県)

経歴
小作農の家に生まれるが、間もなく母と死別。11歳の時には祖母も亡くし、商家に奉公した。戊辰戦争の時には、村の焼き討ちを止めるよう官軍に直訴したと言われている。18歳で佐代助を婿養子に迎え、明治9年には長男・清作(のちの野口英世)が誕生。しかし、夫が大酒飲みであるため、苦労して働き、女手一つで家族を養った。12年頃、自分の不注意から3歳の清作の手に大火傷を負わせてしまい、以来、責任を感じて清作の教育に心血を注ぐ。のちに英世は立派に成長し、世界的な医学者となるが、その間も生活は苦しく、独学で助産婦の資格を取得し、生計を立てた。大正3年に英世が学士院恩賜賞を受賞すると、その賞金を贈られ、先祖伝来の土地を買い戻した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野口しか」の解説

野口しか のぐち-しか

1853-1918 明治-大正時代,野口英世の母。
嘉永(かえい)6年9月生まれ。18歳で結婚,大酒飲みの夫との間に2男1女をもうける。長男の清作(のちの英世)にあやまって火傷(やけど)をさせた責任を感じ,英世の教育に心をくだく。また独力で助産婦の資格をとり生計をたてた。大正7年11月10日死去。66歳。陸奥(むつ)耶麻(やま)郡(福島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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