日本歴史地名大系 「野庄」の解説
野庄
かどののしよう
古代氷上郡葛野郷(和名抄)を継承する庄園。現氷上町西部を庄域としたと考えられる。平治元年(一一五九)閏五月日の宝荘厳院領庄園注文案(東寺百合文書。以下断らない限り同文書)に「丹波国葛野牧 朝隆卿 米百石・油一石一斗」とみえる。冷泉朝隆を領家とし、子)領としてみえる。その後、元徳二年(一三三〇)正月二八日(二一日か)の後醍醐天皇綸旨案によると、後醍醐天皇は同院が衰退したため執務職と寺領を東寺に施入した。正慶元年(一三三二)六月日の臨川寺領目録(天龍寺文書)によれば、当庄の領家職は近衛基嗣・青蓮院宮尊助親王・後嵯峨上皇・大宮院・昭慶門院・世良親王、
野庄
かどののしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報